SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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人生を変えた『旅』への思い

南のどこかの島で

南のどこかの島で


今から22年前。
ボクが21歳の若者だったころ。
早送りのようにザザーッと世界を見る機会に恵まれた。
3ヶ月で地球をぐるりと一周する船旅に参加する機会を得たのだ。
一つ一つの寄港地には1泊からせいぜい3泊まで。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中南米、アメリカ大陸。
その3ヶ月で約20の国々を見てまわった。
21歳の若者にとってその旅はその後の人生を大きく変えるほどのインパクトを残していったのだった。

『赤道』なんてものはあくまでも地図上のもので、赤い道なんてものは海の上に走っていないことを知った。
国境があることを知った。
いろんな人種が生きていることを知った。
肌の色が違っても、通じ合える心があることを知った。
地球が丸い星であることを知った。
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『死』に近づいた日 

都会の真ん中で・・・

都会の真ん中で・・・


実は恥ずかしながら前回帰国時に、ボクは遭難しかけた。
しかも東京のど真ん中で。
もし仮にあと3分外に放置されていたらボクは本当に命を落としていたかもしれない。
大げさなんかではなく、本当に死に直面した瞬間だったのだ。

常夏の島バリから4ヶ月ぶりに帰国した。
久方振りの冬の到来であった。
ボクの体はすっかり常夏仕様になってしまっていたようだ。
基本スタンスとしてかなりユルめの設定であったことは否定のしようがない。
冬の厳しさがすっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだった。

深夜2時過ぎ。
ボクは友人に別れを告げてマンションのエレベーターに乗り込んだ。
ダウンコートは着ていたが前のボタンは外していた。
ロンTにダウン。
その日の寒さを考えれば軽装であった。
駐車場まで約500m。
完全に油断していた。
寒さというものを忘れてしまっていたボクは何の気なしにエレベーターを降りて歩道を歩き始めた。
100mほど歩いたころだっただろうか。
急激に寒気が走った。
今までに経験したことのない激しい寒気。
寒気は震えに変わり、身体中を駆け巡った。
最初は手が震だし、そのうち腕、上半身、足、顔と全身が激しく震え始めてしまった。
震えは勢いを増し、もう自分ではどうすることもできなくなってしまったのだ。
>> 次のページ >> 九死に一生!?

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やっぱりな・・・からの、まさかっ

夕方のセッションにて・・・

夕方のセッションにて・・・


サーフィンには世界共通のルールがある。
サッカーにおいていきなりボールを手で拾い上げて走り出すことが反則であるようにサーフィンにも反則行為が存在している。
ルールを知らないで海に入るのは無謀というもの。
場合によっては一発レッドカードで退場なんてこともありえるのである。

先日こんなことがあった。
その日の夕方、潮の上げ込みとともにスウェルがアップし、素晴らしいレギュラーの波がブレイクしていた。
風も止み、まさにパーフェクトなコンディション。
サーファーは15人くらいだっただろうか。
このスポットは基本的にエキスパートサーファーが多いため波取りは大変なのだが、秩序は保たれている。
そういう意味ではやりやすいスポットともいえるのだ。

そんなセッションの最中、一人の大男がパドルアウトしてきた。
彼の体に対しても大きすぎるサーフボードが目に付いた。
アゴをサーフボードに押し付けながらパドルする姿はいかにもマズそうな気配を感じさせた。
しかも一見してヤバそうな雰囲気。
太もものような二の腕にはイカつい龍がくねっており、背中には2丁の拳銃が描かれていた。
それに加えて密度の濃いアゴヒゲときたもんだ。
口から火でも吹きそうな悪役的プロレスラーを連想させた。
どうみても好戦的なムード。
「まじかよー」
ボクは心の中でつぶやいた。
頼むから絡んできてくれるなよ。
そんなふうに強く思っているときに限って不思議と引き寄せてしまうものだ。
この日もそんなふうになってしまったのだった。
>> 次のページ >> やっぱりか・・・

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朝のうんこ枠?

うんこ枠を取りに行きますよ〜(笑)

うんこ枠を取りに行きますよ〜(笑)


Saltwater players、このウェブマガジンの名前である。
ウェブマガジンといってもほぼ私有本圭個人のブログ化してしまっているのが現状だ。
まあ別にブログだろうがウェブマガジンだろうがどどちらでも構わないのであるが、なんやかんやとこんな活動をもう5年も続けている。
震災直後、いち早く被災地に向けて行動し、熱い共感をいただいたりもした。
Supがまだ浸透し始める前の2010年から2011年、パドル片手にいろいろな所を旅してまわった。
バリ移住の準備から実行、生活までをなんとなくは書いてきたつもりだ。
5年も続けているとやはり多少なりとも『思い入れ』なんてものが生まれていたりするのだ。

先日、バリで出会った日本人サーファーの方に衝撃の一言を発せられた。
「いつも読んでるよ、朝うんこしながら」と。
これにはもう思わず吹きだして笑いが止まらなくなってしまった。
すると、「だってちょうどいいんだよ。内容の軽さが」と。
自分なりには熱い思いを込めて書いていたりする部分もあるのだが、その記事がうんこを踏ん張りながら読まれていると想像すると笑いが止まらなくなてしまったのだ。

これはいい。
朝うんこしながら読んでもらう。
これをコンセプトにしようではないか。
>> 次のページ >> 目指すはうんこタイムデザイナー?

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サマサマ号でゆく、北マルクボートトリップ Vol1 ピリッとピリッと

昨年のDiscovery Indonesiaにて

昨年のDiscovery Indonesiaにて


ナンダカンダと言いながらも今年も旅に出るわけである。
昨年、『Discovery Indonesia』と銘打って雑誌Blue.の取材を兼ねてインドネシアの秘境を旅してまわった。
この旅を主催するOMツアーの丹野さんから「来年もボート乗る?」と声をかけてもらうと後先考えずに「いくいく!」と激しく食いついてしまった。
旅を愛するサーファーの悲しいサガを熟知した丹野さんの罠、人呼んで「丹野マジック」にまんまと引っかかってしまったというわけなのである。

「でね」とあやしく目を光らせる丹野さん。
「一応有本さん、一回行ってるわけだし、インドネシア語もしゃべれるわけだから乗船するお客さんが困ってたら助けてあげてくださいね」と畳み掛けてきた。
「もちろんですよ」と快諾するボク。
するとおもむろに今回の旅の資料などをまとめたファイルを差し出してきた。
説明は続く。
諸々続く。
いつの間にか、ボクがアテンド役をするという流れになっているではないか!
さすがはベテランである。
手口が巧妙だ。
でも旅に行かせてもらえるわけである。
「やりますやります、なんでもやります! 波も譲りますし、後片付けだって掃除だってなんだってやります!」
気がつくとボクはそう答えてしまっていたのだ。
これこそが丹野マジックの真骨頂。
完全に術中にハマってしまったというわけなのである。
というわけで、あれよあれよのうちにサマサマ号でいくインドネシア秘境の旅に吸い込まれていったのであった。
>> 次のページ >> さあいよいよ秘境に向けて!

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日本帰国?からの流れ


バリ島に拠点を移してからも2ヶ月に1度ペースで日本に戻り、仕事のベースはあくまでも日本というスタイルを続けてきた。
日本で仕事を作り、バリに持ち帰ってそれをこなすという逆輸入スタイル。
ん? こういうのを逆輸入っていうのか?
まあどっちでもいいか。
とにかくそんなスタイルで続けてきた。

そんな状況を冷静に考えてみると、「だったら日本で暮らしていた方が楽じゃない?」と考えるようになっていった。
だって、そうでしょ、どう考えても。
「3年間はバリで生活する」という当初の目標は達成しているしもういいんじゃない?
外国人として外国人枠で暮らすというのも何かと窮屈なものだ。
仕事ひとつするのにも許可が必要だ。
いや、もっというと住むことにもややこしい許可が必要だ。
やっぱり日本でのびのびと仕事をしたほうがより良い結果を生み出せるのではないか。
そんな考えが浮かんでは消えていったのだった。

>> 次のページは >> 大きな流れが・・・

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バリ島爆破予告・・・

平和を感じるこの島で・・・

平和を感じるこの島で・・・

「我々はすでにバリにいる。この街を吹き飛ばす準備はできている」

ISが出したといわれている声明文だ。

しかし今のところこの声明がイタズラである可能性も否定できないそうだ。
犯行後に声明を出すのはわかるのだが、犯行予告のようなバカな真似をするのだろうか。
ルパン三世でもあるまいし、わざと警戒を強めさせてその網をかいくぐって犯行に及ぶなんてことがあるのだろうか。
まったく理解に苦しむところだ。

事実はどうであれとにかくとんでもないことをしてくれた。
観光業で成り立つこの島にとってはこのような声明が出されただけでも大打撃を受けることになる。
もちろんそれを理解した上でこのようなことがされたのであろうが。

至る所で平和を感じるバリ島。
この島で無差別テロを起こそうとしている人たちがいる。
まったく違う価値観の中で生きている人たちがこの地球上に存在しているという紛れもない事実を再認識することになってしまった。

地球が愛と平和に満ち溢れた星になるにはどうすればいいのだろうか。
どうして悲しみの連鎖を止めることができないのだろうか。
ボクはただただ途方に暮れてしまっている。

(有本圭)
※facebookアカウント『Kei Arimoto』では友だち上限に達してしまったため、『フォロー』という形でこれからも皆さんと繋がっていけたらと思ってます。インスタグラムkeiarimotoも始めましたのでそちらもよろしくお願いします。サーファー、海好き、バリ好きの皆さん、遠慮なくフォローしてくださいね!

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結局は自分

無人のライテンダー!

無人のライテンダー!


2016年1月1日を境になぜだか全てが変わってしまった。
気のせいかもしれないがそんな風に感じた。
いや、もしかすると自分がそうしたいと望んでいたのかもしれない。
嫌な流れを断ち切りたいと。
そんな思いからか、「今年はいいスタートだな〜」と何度呟いたことだろう。
なんだか冬から一気に春へと季節が移ろいだような気分になっていたのだ。

この流れの発端は12月31日であった。
終わり方が最高のだったのだ。
その前週まで降り続けていた雨が上がり、いつもより少し高めの青空が広がっていた。
数週間続いていたオンショアも嘘のように止まっていた。
時間帯がズレたのだろうか。
他のサーファーの姿はまばらであった。
セットでアタマからアタマ半くらいの程よくパワーのある素晴らしい波が間断なく押し寄せていた。
そんな中、ボクは幸せを感じながら乗り納めをすることができたのだ。
「終わりよければ全てよし」そんな言葉が自然と頭に浮かんでいたのだった。
>> 次のページ >> 2016年最初の教訓が生まれた

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2段階方式で迎えた2016年

大晦日のサンセットは美しかった

大晦日のサンセットは美しかった


2016年が始まった。
ボクにとっての日本の正しい年の越し方とは除夜の鐘に耳を澄ましながら厳かな気持ちで迎えるというものだ。
ひとたび日付変更線を越えたあとに友人知人などに出くわしてしまうと、正しく腰を折りながら「明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします」などと、普段は下ネタしか話していないくせに急にかしこまったりしてしまう。
それがお正月というものだ。

ボクの暮らすバリ島のお正月は日本とは対極的だ。
花火と爆竹で盛大にテンションを上げつつ年越しを迎える。
もう血液はアルコールまみれで、なんだかもーよくわかんないけどたのしーーー、的なテンションで新年を迎えるのがバリのスタイルなのである。
彼らにとってのニューイヤーとはまったく重みのないただのフェスティバルみたいなものだ。
民族的に陽気だからね、ということではなく、彼らは違う暦の中で生きている人たちなので彼らにとってのニューイヤーに当たる日は他にあるのだ。

ボクは昨年、バリ式ニューイヤーを存分に楽しんだ。
もう楽しくてしゃべりまくり、元旦の日には声が半分つぶれていた。
そしてもちろん二日酔い。
元旦からひどい二日酔いだったのだ。

どんなにバリの生活に染まり、ノリもバリニーズ化してしまい、ロコ達からは「ケイはジャバリニーズだな、はははw」なんてからかわれていたとしても、やはり身も心はしんみり日本人だ。
一口目のお味噌汁を口にすると思わず「あ〜〜〜〜」と声が出てしまうし、納豆をぐるぐる回しているときに幸せの意味を知ったりする。
やはり1年の始まりは日本式で厳かに正しく迎えるスタイルがしっくりくるのだ。

というわけで今年は家で家族とともに年越しを迎えることにしてみた。
バリ島ではNHKが映るので『紅白歌合戦』も『ゆく年くる年』もみることができる。
この2番組を流していると否が応でも年越し気分が高まってくる。

除夜の鐘の音がテレビから流れる。
年越し。
2016年はいったいどのような一年になるのでしょうか、的なコメントがされている。
いい一年であってほしい。
自分にとっても、世間にとっても。
ああ、始まったんだな、また新しい一年が。
そんなふうにして気持ちを清らかに新年を迎えた。
はずだった・・・

>> 次のページ >> 戦いの危機。平和に新年を迎えるために・・・

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2015年、苦しみの向こう側

2015年も沢山いい波に乗らせてもらいました

2015年も沢山いい波に乗らせてもらいました


やはり年末ともなると何かと一年を振り返ってしまう。
ボクのような自由気ままな自由人は毎年毎年全く違ったことをしていたりするので、たまにはしっかりと立ち止まって自分を見つめ直すという時間が必要だったりする。
そうでないと軸が激しくブレて風船おじさんのごとくどこかにフワフワと飛んでいってしまう恐れが否めないのである。
そういう意味ではボクにとって年末年始という時間は一年を振り返り、決意を新たにする大切な時間なのである。

2015年は全体的に苦しみの一年であった。
どちらかというと思い通りにコトが進まずに停滞もしくは後退の一年だったという印象が濃い。
そんな2015年であったが、年末恒例の一年の棚卸しを行うことにした。
一年の棚卸しとは今年一年のダメだったこと、良かったことを箇条書きにどんどん書き出してみる作業なのである。

ダメだったことは明らかにあった。
「これ、もう立ち上がれないんじゃない?」と絶望してしまうほどの大きな挫折を経験したのだ。
そんな大きな挫折も含めて、大小様々なダメだったアレコレがあった。
いわば自分に対するダメ出しだ。
自分にダメを出すってのはなかなか苦しいことだ。
できればダメな部分からは目をそらし、蓋をしめ、なかったことにしたいというのがホンネだ。
しかし一年に一回だけ心を鬼にしてけちょんけちょんにダメ出しをするのである。
この時点で立ち上がれないほどの精神的ダメージを受けることになる。
薄暗い部屋で、一人体育座りをしながら「おれ、だめかも」と呟く。
そんな心境なのである。

で、気をとりなおして良かったことに入っていく。
良かったことなんてあったっけ?
そんな思いだった。
しかし書き出してみると意外と出てくる出てくる。
良かったこと、案外あるではないか。
今の時点では結果に表れていないが、大きな可能性の種を沢山蒔いていたことに気がついた。
ダメだ、アカンっ、と嘆き続け一年であったが、実は先につながりそうな活動を沢山していたのだ。
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