SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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グランパ藤井と空飛ぶ52歳

4月10日からバリ島クラマスにて開催されるJPSA(日本プロサーフィン連盟)第一戦に向けて続々と選手たちがバリ入りしている。
当然、バリに住んでいる僕はエントリーするだろうという予想を裏切り、今回は出場を見送った。
今年はJPSAは出ずに、ひっそりとアジアのコンテストツアーをまわってやろうとタクランデいるのだ。

左)野田雅生プロ 右)藤井辰緒プロ

左)野田雅生プロ 右)藤井辰緒プロ


ロングボードのコンテストは14日からの開催なのだが、宮崎から藤井プロ、野田プロがちょっと早めにバリにやってきている。
藤井辰緒プロは55歳でツアーフルカバーしているプロの中では最年長。
しかも今だにトップシード選手として活躍している現役バリバリのプロサーファーだ。
一方、野田雅生プロは49歳でプロに転向し、現在52歳。
NSA(日本サーフィン連盟)でグランドチャンピオンを獲得してから最年長プロ資格獲得者というツワモノなのだ。 続きを読む…

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福島のサーフカルチャーは終わらせない!

僕がまだアマチュアサーファーだったころの話。
毎年のように車にテントを忍ばせて福島にサーフトリップに行っていた。
ある年の夏。
福島には台風からの強烈なウネリが届いていた。
烏Pというサーフスポットにはダブルオーバーのセットが入ってきていたが霧ががかったアウトに目を凝らしてみると、ゲッティングアウトさえできればとてつもなくいい波のように見えた。
僕は仲間たちと一緒に気合いでゲッティングアウトを試みることにしたのだ。

佐藤修一プロ ファミリー

佐藤修一プロ ファミリー


20分ほどパドルをすると運良くセットの切れ間からアウトに出ることができた。
波は予想を遥かに超えるほどのいい波だった。
そのときは霧が出ていてアウトにはサーファーは誰も入っていないと思い込んでいたが、ゲッティングアウトをしているときにセットの波を気持ち良さそうに乗っているロングボーダーがいることに気がついた。
そのサイズのときに1人でサーフィンしているということだけで、そのサーファーがローカルだということはすぐにわかったが、サーフィンの腕前も相当なものだった。
そのサーファーが今もJPSAプロサーキットをカバーしている佐藤修一プロだった。 続きを読む…

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tikizひでの『1%の望みに懸けて』

まさか入院したときにはそのことがきっかけで店のリニューアルをすることになるとは夢にも思ってなかった。
思い返してみるといつもどん底に落ちるとそこから光が見えてきていた。
今回も半ば諦めかけていたけどみんなの励ましから力が出てきてプラスに変えることができた。

入院中でも明るく過ごした!

入院中でも明るく過ごした!


1ヶ月と言われていた入院生活は奇跡的に10日で退院することができた。
100%完治というわけではないが普通の生活はできるようになった。
久しぶりにお店に入ったときには涙がこぼれそうになった。
ここを失うなんてやっぱり考えられない。
今回のこの経験を活かして、もっともっといいお店にしよう!と心に固く誓った。 続きを読む…

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tikizひでの 〜どん底から這い上がるために〜

入院してから3日間、意識がもうろうとする中で過ごした。
ちょくちょく襲う腹部の激痛を抑えるための痛み止めの薬が意識を曖昧なものにしたようだ。
4日目になると徐々に痛みが引き始めた。
そういえば入院してから1度も食事をしていないことに気がつく。
絶食4日目。
突然恐ろしく激しい空腹に襲われた。
意識がはっきりしてきたことで、今自分の置かれている状況が見えてきた。
そういえば医者から約1ヶ月の入院になると言われていたことを思い出す。
1ヶ月も店を閉めてしまえばお金も回らなくなってしまう。
もしかしたら店は続けられないかもしれない、という考えが頭をよぎった。

入院時代

入院時代


意識がハッキリしてから今度は精神的にどん底に落ちた。
どうして俺が?
というやり場のない怒りが込み上げてくる。
不安に押しつぶされそうになった。
もっと早く病院に行っていればこんなことにはならなかったのでは?という後悔が頭を巡る。
今回のピンチを脱出する方法は見当たらないように思えた。
もうダメかもしれない、tikizは手放さないといけないかもしれない。
そんなことばかりを考えて過ごしていた。
>> 次のページは >> ピンチはチャンスに!?

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tikizひでの『まさか俺が??』

ヒデはやっぱりハワイが良く似合う

ヒデはやっぱりハワイが良く似合う


5月31日午後10時くらい、突然突き刺すような痛みが腹部に走った。
同時に頭が割れるように痛い。
疲れでもたまっているんじゃないかと思い、仕事の後ゆっくり家で休むことにした。(前回はこちら
翌日、またもや同じ時間に同じ症状が出た。
これはなんかの食べ物にでも当たったのか、それともなかったら疲れから体調を崩しているのか、体を休める必要がありそうだ。

週末に入り、お店は忙しさを増してきたが体調は思わしくない。
そして夜の10時くらいになると症状が一気に悪化してくる。
尋常でない痛みだ。
これはもしかしたら何かの病気なのかもしれないと思い始めた。
しかし、今お店を休むわけにはいかない。
俺が抜けたら店がまわらなくなるのは目に見えているのだ。

週が明けて月曜日。
いよいよ我慢ならないほどの痛みに襲われた。
痛みがでてくる頻度も上がってきている。
近所の病院に脂汗流しながら行ってみた。

「これは大変だ。すぐに市民病院に行ってください。ここではこれ以上診れないので」

>> 次のページは >> タダゴトではないぞっ

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tikizヒデの『パスポートのいらないハワイがここに!』

東日本大震災以降、日本全体が意気消沈していた。
2011年、tikizのお客さんたちもせっかくtikizにやってきたにも関わらず、なんとなくひっそりと時を過ごしているといった雰囲気だった。
後ろめたい気持ちのままどこか遠慮がちに食事をしているという感じを受けていた。
そしてあれから1年が過ぎた。
そのころから徐々にお客さんたちの雰囲気が変わってきたことに気がついた。

ALOHA!! tikiz!

ALOHA!! tikiz!

「もう前向いていこうよ!」

そんな前向きなエネルギーが感じられるようになってきたのだ。
tikizはそもそもその場に来てくれたお客さんにその時間、その空間を楽しんでもらいたいという強い思いをコンセプトにしている。

『パスポートのいらないハワイトリップ』

tikizに来たらハワイにいるときに感じられるような高揚感をお客さんに感じてほしいと常日頃から思っている。

震災から立ち直り、前向きなエネルギーを感じたときに、今まで以上にtikizに来たお客さんをとことん楽しませたい、という願いにも似た熱い思いが込み上げてきた。
飲食というジャンルでもっともっとお客さんを楽しませるにはどうしたらいいのか?
そんなことが頭の中に浮かんでは消え、という日々を過ごしていた。
日々の忙しさからなかなかそこを熟考することができなかったし、着手するには時間的にもハードルが高かった。
>> 次のページは >> さあ、実行だ!

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第3章1話 tikiz物語 〜 新たなる1ページが ~ 

ALOHA!!
tikizヒデです。
第3章が始まったのです。
これからもtikiz宜しくお願いします。
それではどうぞ!


早いものでtikizがオープンしてから5年が過ぎた。
2006年、tikizがオープンしてから約半年は大盛況の毎日で寝る暇もないほど多忙な日々を送った。
来る日も来る日も満席で、このまま大成功するんじゃないか、と確信し始めていた。
しかし、11月に入り、リーマンショックが起きたころからお店の売上が急降下していった。
最初はリーマンショックの影響で一時的なものだとタカをくくっていた。
しかし年が明けてもまったく客足が戻ってこなかった。

オープン当時のtikiz

オープン当時のtikiz


それから数ヶ月後、オープン1年を迎える前にtikizは閉店の危機に直面していた。
このまま売上が上がらなければスタッフたちの給料すら払えない状況だった。
不安で不安で夜はほとんど眠ることができなかった。
お客さんの来ないお店にいることはこの上ない苦痛だった。
なんとかしたいという思いが焦りに変わりどんどん空回りしていった。

>> 次のページ >> さあどうするヒデ!!

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第2章18話(2章最終話)tikiz物語 ~ 本物のハワイを湘南に ~ 

ALOHA!!
tikizヒデです。
いよいよ次のステージに向けて動き始めた2006年のお話です。
ハワイアンレストラン&バーtikizオープンに向けて動きだしたのです。
それではどうぞ!


DAIとのお別れ

DAIとのお別れ


2006年春。
お世話になったハワイアンレストランDAIを退職し、いよいよこれまで培った全てのキャリアを総動員し、自分の理想としているお店を出店すべく準備を始めた。
日本に帰国し、ハワイアンレストランやハワイ系のカフェバーなどを見てまわったが、俺の思う本物のハワイを表現しきれているお店は一軒もなかった。
『ハワイアン=ロコモコ』というイメージがすっかり定着していたがハワイアンがいつもロコモコを食べているかというとそんなことはない。
ハワイのローカルフードを正しく表現し、さらにはハワイの良いお店の雰囲気を再現したいと思った。
ハワイの良いお店のスタッフは心の底から湧き出る笑顔でお客さんを迎え、スタッフ同士もフレンドリーな関係で生き生きと仕事をしていた。
そういう雰囲気がお客さんにも伝わり、居心地の良い空間ができあがっていた。
そういう雰囲気を作ることこそが、ハワイで暮らしていた自分にしかできないお店作りな野ではないかと考えていた。

出店場所は馴染み深い藤沢にすることに決めた。
藤沢にある全ての不動産屋をしらみつぶしに行ってみたが、そう簡単には理想通りの物件は見つからなかった。
何日も何日も探し続け、妥協しかけそうになっていたある日のこと、不動産屋から携帯に着信が入った。
「吉村さんの条件に合う物件が出ましたよ。すぐに見てみてください」
という内容だった。

見に行ってみると駅から程近く、周辺には飲食店がたくさんあり、しかも俺がこだわっていた1階の物件だった。
大きさもちょうど良かった。
しかし、家賃が想定していたよりかなりオーバーしていた。
「吉村さん、決めるならすぐ決めてくださいね。こういう物件はなかなか出ないので他にも探されている方がたくさんいますので」
不動産屋の担当者は急かすようにそう言った。
契約を決めるための常套文句だとは思ったが、それでももし他に決まってしまったら後悔してしまいそうな気がした。
「1日だけ時間をもらえますか。明日返事しますので」
そう担当者に伝えた。

>> 次のページ >> さあ、どうするヒデ??

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第2章17話 tikiz物語 ~ まさかの展開 ~ 

ALOHA!!
tikizヒデです。
人生って思いもよらないことが起こるものですね。
今回はまさに『まさか』の展開のお話です。
それではどうぞ!


あざみ野のハワイアンレストランDAIを退職し、次のステップに移ろうという計画を実行し始めた俺は、とにかく自分が抜けてもちゃんと店がまわるような仕組みを作ることに専念し始めた。
スタッフ一人一人に自覚と責任感を持たせ、みんなの力でお店を切り盛りできる形へと移行させていったのだ。

右) 明日香

右) 明日香


中でも明日香というまだ10代のスタッフのポテンシャルは群を抜いていた。
彼女の能力を最大限引き出すことができれば俺は心置きなくDAIを退職できると感じていた。
意識的に明日香と過ごす時間を増やし、自分の持っているお店に関するノウハウや考え方などを植え付けていった。
彼女は俺のにらんだ通り、どんどん吸収し、早くもお店の中で中心的な存在へと成長していってくれた。

「よし、これでDAIを辞めても平気だな」

と思い始めたころのある日のこと。

>> 次のページ >> まっ、まさかっ・・・ の展開が!!

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第2章16話 tikiz物語 ~ 失恋の功名 ~ 

Eちゃんとの別れがきっかけで内にこもる事が増え、そのことが自分の人生を深く見つめ直す貴重な時間となった。(前回はこちら

「この先どうしたらいいのか?」
「俺は本当は何がやりたいのか?」
「このままでいいのか?」

と自問自答を繰り返した。
そのことによって一つはっきりしてきたことは、

「このまま雇われ人では終わりたくない」

という思いだった。
いつも俺の少し前を歩んでいる圭くん(有本圭プロ)の生き方も参考になっていた。
圭くんはちょうど今の俺の年齢(当時32歳)で独立し、生き生きと自分の会社を切り盛りしていたのだ。

 「よ〜し、俺も!」

という熱い思いが沸々と燃え始めてきたのだ。

DAIでのひととき

DAIでのひととき


決めてしまうとそこからは早い俺はさっそく行動に移していった。
まずは今勤めているハワイアンレストラン『DAI』から自分が抜けたときのことを想像してみた。
今この状態で俺が抜けると店が回らないことが明確になった。
自分の都合で無責任に『DAI』を退職し、迷惑をかけることだけは避けたかった。
俺が抜けたときの穴を埋めるべく人材を育てることが急務だった。
しかし、現時点での人材ではそこまでを担うだけの人物はいないように思えた。
そこで思い切ってスタッフの入れ替えを実行することにした。

>> 次のページ >> ヒデの逆襲が始まった!

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