SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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大きくしてくれたハワイ ~TIKIZヒデのハワイでの道のり その9 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今回は波乗りハワイでの集大成のお話です。
それではどうぞ!


ハワイにやってきて3年が経った。
俺は帰国をする決心をした。(前回はこちら
あまりにいろいろなことがありすぎてハワイに降り立った3年前が遠い過去のように感じられた。
本当の自分を探すために来たハワイで本当の自分に逢えた気がしたので帰国を決意したが、やはり寂しい思いはあった。
しかし、ハワイで吸収したことや学んだことを活かして日本でやっていける自信はあった。
3年前の自分からみると大きく成長できたという自負はあった。

帰国が決まり、身辺整理をし、ちょっと時間に余裕ができ始めたころ、俺がサーフィンの世界にどっぷりハマるきっかけをくれた有本圭がハワイにやってきた。
圭くんと会うのは5年ぶりだろうか。
ホノルル空港で久しぶりの再会を果たした。

「お前変わったな~、あれ、ちょっと髪の毛減ったんじゃね?」

などと言いながらニカニカ笑っている。
圭くんは5年前の記憶の中の圭くんとちっとも変っていなかった。
きっと変わらないことが圭くんの良さなんだろうな~、とつくづく思った。

ノースショアのモクレイアの俺の住む家に案内し、荷物を置いたとたん、

「波あんの?サーフィンしに行こうぜ」

とさっそくサーフィンする気満々。
まったく相変わらずだ。

ノースでセッション 手前)ヒデ  奥)圭くん

ノースでセッション 手前)ヒデ  奥)圭くん

波のサイズは頭半からダブルくらいあったが、キレイに規則正しくブレイクしていた。
「ここで入りましょうか?」
と俺が言うと、
「え、お前こんな波で入れんの?」
と目を丸くした。

>> 次のページ >> ハワイでのファーストセッション

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岐路   ~TIKIZヒデのハワイでの道のり その8 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今回は俺がハワイで人生の岐路の立たされたときのお話です。
それではどうぞ!


ハワイに移住して3年が経とうとしていた。
俺は毎日の生活を精一杯生きていた。
先のことを考える暇もないくらい。
ビストロ旬(居酒屋)での料理長としての仕事とワイキキビーチボーイズの仕事を掛け持ちながらも、欠かさず海には入るように心がけていた。
そのころの俺は一日一日を充実させることがすべてだったのだ。

女将、ヒデ、大将 ~ビストロ旬~

女将、ヒデ、大将 ~ビストロ旬~

そんなある日のこと、ビストロ旬での仕事中に女将さんに裏口にくるように呼び出された。
改まって呼び出されるということは何かがあったのだろうということはわかったが、それが何なのかはまったく想像もつかなかった。
裏口に行くと、すでに女将が俺のことを待ち構えていた。

「ヒデはこのままハワイで暮らしていくつもりなの?」
唐突に話が始まった。
女将の表情はいつになく真剣だ。

虚をつかれた俺は一瞬口ごもったが、
「ええ、まあそうできればいいかなって思ってますけど」
と応えた。

>> 次のページ >> 一体何が??

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ハワイで~、ヒデに~、出会った~~  ~TIKIZヒデのハワイでの道のり その7 番外編 ~

※このストーリーは特集『TIKIZヒデのハワイでの道のり その6』を受けて、私有本圭がヒデのと再会の模様を描きました。


2004年当時、僕はコンテストシーズン以外の季節(11月~4月)まではほとんど海外で時を過ごしていた。
旅行会社ST-WORLDさんからのスポンサードを受けていたおかげでわりと気軽に海外に行ける環境になっていた。

その年の冬、スリランカからの長期滞在を終えて日本に帰国するとK先輩から留守電が残っていた。
「お~い、けい元気か?留守電聞いたら電話くれ~」
と入っていた。
数日前に入っていた留守電だったが、僕はすぐにK先輩に電話をかけた。(ヒデのハワイ物語その6話はこちら

「おう、お前元気か?ところで吉村って奴知ってるだろ?」
「え、吉村・・・ あ、あの吉村かな~。ハワイに行ってる」
「そうそう、その吉村とハワイで会ってさー」
「え、マジですか?」
「そうなんなんだよ。そんでそいつの連絡先を聞いといたから連絡してやってくれよ」

サーフショップ時代のヒデ

サーフショップ時代のヒデ


吉村英和。
通称ヒデ。
彼は数年前に湘南辻堂にあるとあるサーフショップで僕が仕事をしていたときにお客として店に出入りしており、あまりに頻繁に店に来ていたのでそのうちアルバイトまでしてもらった男なのだ。
当時はサーフィンの腕前はまだまだ初級者レベルで、半分使いぱしりのような存在だった。
昼時になるといつも僕や僕の同僚から牛丼を買い行かされ、そのことが原因でアダ名を『ウシ』と付けられたりしていた。
牛丼を買いに行かせていたのは僕らなのに、行ってくれた人に対して『ウシ』と呼んでしまうのは僕らがまだ若く未熟だったからなのだが、その当時はそんなことがオカシクて仕方がなかったのだ。
その後ヒデは大学を卒業し、板前の修業をしてハワイに移住した、という話は聞いていたが、3~4年は音信不通だったので詳細は知らなかった。

>> 次のページ >>  何年ぶりかの再会!!

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振り返れば奴がいたっ ~TIKIZヒデのハワイでの道のり その6 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今回は懐かしい人との再会にまつわるエピソードです。
それではどうぞ!


ハワイに移住し、4年が過ぎようとしていた。
すっかりハワイでの生活に溶け込み、身も心もハワイアン化していた。
その一方で、ハワイでの生活が長くなるにつれて、「自分は日本人なんだ」という誇りも芽生え始めていた。(前回はこちら

あれっ、どこかで見た感じだぞ~ ~有本圭~

あれっ、どこかで見た感じだぞ~ ~有本圭~


あるとき、友人が日本から持ってきた『NALU』というロングボード雑誌をパラパラめくっていると、見たことがあるような男がその雑誌に載っていた。
波の乗っているスタイルもその男にそっくりだった。

「ん?まさかっ」

と思いながらよくよく見てみるとやはりそこに載っていた男は俺にサーフィンの世界を最初に見せてくれた有本圭だったのだ。

「おっ!!」
俺は思わず声を上げてしまった。
圭くんとはハワイに来て以来会っていなかったし、連絡も取っていなかった。
たまに「圭君、今頃どうしてんのかな~」と考えることはあったが、自分のことで精一杯な日々をハワイで送っていた俺はあえて連絡を取ろうとはしていなかった。

記事をよく読んでみると、圭君はプロサーファーになっており、しかもプロツアーにフル参戦した初年度にいきなりトップシード入りをしてかなり注目されているようだった。

「すげえ、マジかよっ」
と無意識のうちに連呼していた。

友人に
「この人知ってる?」
と聞いてみると、
「ああ、最近よく出てるよね~。なんかサラリーマンやりながらトップシードに入って注目されてるみたいだね」
「え、そうなの?この人さ、俺にサーフィン教えてくれた人なんだよ。」
「まじで?」

そんな会話をしたのを覚えている。

その日から、なんとなく圭君のことを思い出すことが多くなった。
日本に戻ったら会いにいこう、と考えたが、5年も会っていなかったので連絡先が変わっている可能性があった。

チャンズで波チェック ~ヒデ~

チャンズで波チェック ~ヒデ~


そんなある日、俺はいつものようにノースショアでサーフィンをしようと波チェックをしていたが、その日は波がどこも小さくて結局コシ~ハラサイズのチャンズリーフで入ろうとしていた。
日本と違って、コシ~ハラの波はハワイでは小さすぎる波とみなされており、サーファーはほとんど海に入らない。
俺は、「まあ貸切りだからちょっとだけ入ろうか」という気になり、トランクスに着替えてボードを抱えて海に入ると一人だけサーファーが入っていた。

>> 次のページ >> そのサーファーの正体は??

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ビーチボーイズ  ~TIKIZヒデのハワイでの道のり その5 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今回はワイキキでビーチボーイのお話です。
それではどうぞ!


ノースショアに居を構えサーフィンをする傍ら、週6ペースで仕事場のあるワイキキへと通っていた。
ノースでの田舎暮らしとワイキキという都会での仕事がいいバランスとなり、生活のリズムも理想的になってきていた。

もはやハワイアンにしか見えない ~ヒデ~

もはやハワイアンにしか見えない ~ヒデ~

そんな生活にゆとりを感じ始めたころ、職場『ビストロ旬』の女性スタッフの夫ケビンと仲良くなっていた。
ケビンは生粋のハワイアンで、ハワイの伝説のサーファー、エディ・アイカウの血をひく男だった。
どういうわけかケビンは俺のことを「お前はブラザーだ」と慕ってくれ、自然に彼と一緒に行動することが増えていった。

ある日、ケビンから、
「ヒデ、時間が空いているときでいいから俺の仕事を手伝ってくれないか?」
と言われた。

ケビンは『C&K』というワイキキのビーチボーイズだった。
ビーチボーイズとはハワイ独特のカルチャーで、言うなれば「海で生まれて海で育った男たち」を指すリスペクトを込めた言葉だ。
彼らは海の環境を保つ活動(ビーチクリーンなど)やサーフスクール、サーフボードレンタルなど、ワイキキを訪れた人なら一度は見たことがあるのではないかと思う。
日本的に言うと『常設海の家』のようなもの。
『C&K』は、エディ・アイカウの親族が中心となって成り立っている老舗中の老舗のビーチボーイズなのだ。

「仕事? なんの仕事? 俺にできることなら手伝うけど・・・」

>> 次のページ >> さあ次は何をやるのかな??

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ノースで~、本物のサーファーに~、出会ったあ~  ~TIKIZヒデのハワイでの道のり その4 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今日は俺が本物のハワイのサーフィンに出会ったお話です。
それではどうぞ!


家の前のビーチにて ~吉村英和~

家の前のビーチにて ~吉村英和~

ハワイでまんまと仕事を得ることに成功した俺は、少しずつ生活にも余裕が出始めていた。(前回はこちら
それまでは、必死の思いでハワイに受け入れてもらおうとがんばっていたので周りの景色が目に入ってこなかったが、徐々に視界が広がってきて、ハワイの魅力を感じ取れるようになってきていた。

休みの日には俺の住むノースショアでサーフィンをして過ごすことが多くなった。
オアフ島ノースショア、といえばご存知の通り世界でもっとも有名なサーフエリアだ。 続きを読む…

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勝負の2週間がはじまった! ~TIKIZヒデのハワイ移住への道のり その3 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今日は俺がハワイでいかにして仕事を得たか、というお話です。
それではどうぞ!


ノースショアの西のはずれ、モクレイアでの生活が始まった。(前回はこちら
日本社会を引きずったままだったワイキキ生活とは一変し、本当のハワイアンコミュニティの中での生活が始まったのだ。
もちろん日本語はまったく通じない。
英語も教科書通りではないようだ。
ハワイの方言が色濃く残っており、辞書に載っていない単語がたくさん使われていた。

愛車のトラックに乗るヒデ。ハワイアンにしか見えません

愛車のトラックに乗るヒデ。ハワイアンにしか見えません

そんな新しい生活が始まった最中、知人の紹介で日本食レストラン『ビストロ旬』の手伝いをしないか、という話が舞い込んできた。
ハワイに長期滞在するにはいつまでも学生ではいられない。
仕事をしなければ生活が成り立たなくなるのは目に見えていた。
学生ビザで入国している以上、仕事をすることはできないのだが、手伝いをすることによってハワイで仕事を得る足掛かりになるのではないか、と思い俺はその話に乗ることにした。
俺はおんぼろのピックアップトラックを走らせてサウスにあるそのレストランに向かった。

ビストロ旬の調理場に通された俺はその店の大将から思わぬことを聞かされた。

>> 次のページ >> 思わぬ展開が待っていた!?

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本当のハワイを追い求めて! ~TIKIZヒデのハワイ移住への道のり その2 ~

ALOHA!
SWPゲストライターのTIKIZヒデです。
今日は俺がハワイに移住するときのお話です。
それではどうぞ!


「ハワイでサーフィンがしたい」
「ハワイに住みたい」
という思いが妄想から目標へと変わっていった。(前回はこちら

「また行きたいな~」から「どうやったら行けるだろうか」へと意識が変わっていった。

「どうやったらハワイにいけるだろうか?」
その問いに対する答えを探し求めているうちに『料理人になるのがハワイへの近道だ』ということがわかってきた。
しかも寿司職人や日本料理職人が有利であることもわかってきた。
元来凝り性な俺は、当時から料理を作り始めるとトコトンのめり込んでしまっていたので、直観的に「これは俺に向いている」と思った。

修行時代の 左)ヒデ 右)雄介

修行時代の 左)ヒデ 右)雄介

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サーフィン道への転身 ~TIKIZヒデのハワイ移住への道のり その1 ~

ALOHA!
はじめまして、TIKIZヒデです。
今日からSWPゲストライターとして俺のハワイ移住物語を連載することになりました。
毎週ALOHA FRIDAYにお会いしましょう。
それではこれからどうぞ宜しくお願いします!

大学時代、アメフトの選手だった僕は学生オールスターへの出場を果たし、某大手企業からのスカウトの声がかかっていた。
このときその企業に入社していたら俺の人生はどんな歩みだったのだろうか。
今でもふとそんなことを考えることがある。
きっと髪の毛は今みたいに茶髪ではないはずだし、きっと今よりも安定した暮らしを手に入れていることだろう。
しかし俺はその選択はしなかった。
その選択は今でも正しかったと思っているし、後悔などはしたことがない。

学生アメフトオールスター戦にて  左) ヒデ

学生アメフトオールスター戦にて  左) ヒデ


約14年前、大学のアメフト部を引退し、時間ができた俺は前々から興味があったサーフィンに挑戦しようと思い湘南へ向かった。
湘南の辻堂には何軒ものサーフショップが立ち並び、どのショップに入るのか見当もつかなかった。 続きを読む…

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シェイパー 富永忠男

あるとき、サーファーとしての究極ってなんなんだろうね、ということが話題に上がったことがあった。
その時居合わせたサーフィンフォトグラファーのP氏が言った言葉に僕は大きく頷いた。
僕は一里あるなと納得した。
P氏はその話題が上がったときに、即座に「そりゃー、シェイパーだろ。自分が乗りたい板を自分で作って海に出る。それ以上の形はないんじゃないの。」
サーフボードを作る人、それをサーファーの間ではシェイパーと呼ぶ。
シェイパー、直訳すると『削る人』。
フォームといわれているサーフボードの原型を削りながら思い思いのサーフボードを作っていくので『シェイパー』と呼ばれているのだろう。

自分が乗りたい板を自らの手で作る。

それこそが究極のサーファー。
確かにいろいろな究極のサーファーの形があるとは思う。
恐ろしく大きな波に挑む者、ハワイのパイプラインでパーフェクトなチューブをメイクする者、美しいスタイルでリラックスして波と調和しながら波に乗る者。
でも、シェイパーはサーファーとしての究極の形の一つであることには異論はない。

シェイパー富永忠男

シェイパー富永忠男

シェイパーは職人であり、アーティストでもある。
たかがサーフボード、されどサーフボードなのだ。
ボードのデザインによって波に乗る感触、感覚がまったく違ってきてしまう。
しかも、サーフボードの良し悪しは、乗り手の感覚によるものなので、科学的には解明しずらい。
いわゆる『調子のいいボード』を作り出すには経験とセンスが必要になってくるのだ。 続きを読む…

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