SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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バリ島の抱える環境問題

バリ島は美しい。しかし・・・

バリ島は美しい。しかし・・・


2012年10月に家族でバリ島に移住した。
実は我が妻であるド天然嫁にとって、移住が初めてのバリ島だったのだ。
ボクは何度も「下見をしにバリに行こう」と誘ったのだが、頑として下見に来ようとしなかった。

「どうせもうバリに行くのは決まったことなんでしょ? じゃあいいよ、行かなくて」

と拒絶し続けたのだった。

そして、初めてバリにやってきたその日、つまりバリ島移住初日にド天然嫁は衝撃の言葉を発したのだ。

「私、バリ無理かも。なんか汚いもん」

初日から大きくつまづいてしまったのだ。

バリ島は美しい島である。
海と空は青いし、緑も多い。
自然もまだ多く残っている。
しかし、ゴミがそこらじゅうに落ちているのも目を背けがたい事実なのだ。

>> 次のページは >> ゴミ問題に対して何ができるのだろうか?

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事業撤退から広がった新たなる景色

2010年初夏。
普段は会議室か近所のカフェで打ち合わせをすることが多かったのだが、この日はビジネスパートナーであり親友のヨッコを海へ誘った。
良く晴れた気持ちのいい朝だった。
でも、これからヨッコに話す内容は重苦しいものだった。
開放的なビーチで話をしたほうが重い話が少し軽くなるような気がしたのだ。(前回はこちら

僕は倒産の危機を脱出した今こそ、事業を整理するべきなのではないだろうか、と考え始めていた。
それまで、情熱を傾けていた店舗事業からの撤退が頭の中から離れずにいたのだ。
店を閉めるには資金的に余裕のあるこのタイミングしかないのではないか、そんな風に考えていたのだ。
それまで、どんなに苦しくても『店を閉める』ということを具体的に考えたことはなかった。
でも、心のどこかで全てをリセットしてしまいたいという潜在的な願望があったようだ。
そんな思いが、そのときに表面に浮かび上がり、日々その存在感を増幅させていた。
僕のそんな思いに対するヨッコの率直な意見が聞きたかったのだ。

「本当に店を閉めるのか?」
僕のその言葉に戸惑いを隠せない様子だったヨッコ。
「そのほうがいいかなって思っている」
僕は声を振り絞った。

僕とヨッコの間に長い沈黙が流れた。
僕は彼の目をまっすぐ見ることができなかった。
彼の店に対する情熱を知っていたからだ。
彼も僕の方には目を向けず、だまって海を見つめていた。

起死回生でなんとか会社が立ち直ったものの、本質的には何も変わっていなかった。
相変わらず店舗の売上は厳しいものだった。
苦戦は続いていたのだ。
このまま店舗事業を続けていても、この先、資金がつまってしまうのは目に見えていた。
少なくとも僕はそう捉えていた。
資金に少しの余裕が出たこのときこそ店舗事業を精算し、会社を危機から救う最後のチャンスだと感じていたのだ。

ヨッコはゆっくり僕の方を向き、
「そのほうがいいかもな、実をいうとな、俺も薄々そう思ってたよ」
とすぐに視線を海に戻した。
>> 次のページは >> 事業の撤退は困難を極めた

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倒産の危機を救った奇跡の選択

昨日、倒産の危機から学んだことについて書いてみた。(倒産の危機から学んだこと、はこちら
なんとなく続けて書いてみようという気になったので書いてみることにした。

会社というものは儚いものだ。
一時、どんなに利益を出そうとも、落ち始めるてしまうとあっという間だ。
坂道を転がり出すとそれを止めてさらに上に持ち上げるには相当な力が必要になってくる。
特に所帯が大きくなっていればなっているほど下に落ちる力は強くなる。
まるで大きな鉄の塊がどこまでも転がり落ちていくような絶望的な状況に陥っていたのだ。

2010年4月。
僕はその当時のビジネスパートナーであるヨッコと会社で打ち合わせをしていた。
ヨッコとは中学時代からの親友でお互いを知り尽くしている間柄だ。
きっと彼はわかっていたのだろう。
僕が店舗ビジネスに対するモチベーションを失っていることを。

「お前は店舗事業から外れていい。お前の持ち味は自由に遊んでいる中から仕事を作ってくることだ。だから店のことは全て俺に任せてくれ」

ヨッコはそう僕に言ったのだ。

僕はその意外な言葉に戸惑いを隠せなかった。
モチベーションが下がっているとはいえ、僕とヨッコで命を削りながら育ててきた事業。
「はい、そうですか」
と快諾するほど話は簡単ではなかった。
でも考えれば考えるほどそれ以外の選択はないように思えた。
これ以上僕が店舗事業に関わって、何かを好転させる自信がなかった。
即答こそできなかったが、後日彼からの提案を受けることにしたのだった。
>> 次のページ >> Y氏の決断が会社を救う!?

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倒産の危機から学んだこと

先日のコラムで『好きなことは継続する』ということをテーマに書いてみた。(先日の記事はこちら
そんなことは言われなくてもわかっている、と思われた方も少なくないと思う。
しかし、僕にとってはそんな当たり前のことに逆行したことで苦しんでいたことがあったのだ。

2010年正月。
僕は失意の中にいた。

2004年、自由にサーフィンをするために立ち上げた会社は最高の滑り出しをみせ、みるみる間に貯金通帳の残高は増えていった。
2007年にはその売上をより安定させるために雑貨を販売する店舗の展開に乗り出していた。
店舗は瞬く間に増えて、気がつくと従業員が30名近くになり、店舗は6店舗にまで増えていた。
『株式上場を目指すぞ!』などと自信たっぷりだった僕はそのころ有頂天になっていたのかもしれない。
何しろ、毎日のように有名ディベロッパーや百貨店、ショッピングセンターなどから出店要請があり、いつの間にか出店場所を選べるような立場になっていた。
店舗は勢いに乗じて売上を伸ばし、周辺の店舗を圧倒する成績を残していたのだ。

その風向きが変わってきたのが2009年だった。
店舗の売上が軒並み落ちてしまったのだ。
原因はいろいろあったが一番の原因は僕自身にあった。
社長である僕のモチベーションが落ちていたことが原因だったのだ。
元来、『物』にさほど興味のない僕が物を売るには無理があった。
もっというと、店舗に対してまったく興味がなかったのだ。
ただ、儲かりそうだからと始めた事業。
プライベートでは店舗への興味は愚か、買い物嫌いで、ショッピングセンターや百貨店などに好んで入るようなことはなかったのだ。
>> 次のページは >> 倒産の危機から学んだこととは?

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一応お正月なので『抱負』を語ってみる

やはり年始ともなると『抱負』とやらを述べないわけにはいくまい。
抱負。
ちょっと調べてみたら、抱負とは『心の中で抱いている決意』とあるではないか。
では別にこういった場で発表する必要はないではあるまいか。
いやいや、別に僕が抱負を述べ、それが実行されなくても誰が咎めるわけでもないのでせっかくなので書いておこう。
実行できる自信はあまりないため、自分自身に向けた備忘録、と解釈して温かく見守っていただけるとメンタルの弱い僕にとってはありがたいことだ。
まったく実行されていないからといって「おい、やってないじゃないかっ」などと責めないでほしいのだ。

2014年は我が社、パレット株式会社にとってポイントとなる1年になりそうなのだ。
2011年3月にパートナーのいとうまさしと立ち上げた会社が早いもので4期目に入る。
先日、まさしから近所のカフェに呼び出され、「来期が勝負なのです。我々もしっかりとした会社になるのです!」などと熱く語られたことで、これまでのようにのんべんだらりとはしていられないぞ、という気になってきたのだ。
>> 次のページ >> 2014年の抱負は!?

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継続の秘訣

昨日、正月に決意してやり始めたことで20年続いたことがある、という記事を書いた。(昨日の記事はこちら
「長続きの秘訣は?」という質問があったので今日はそれについて書いてみようと思う。

元来、僕は何を始めても長続きしない典型的な3日坊主だった。
何かを始めては途中でやめてしまう、というのが僕の日常になっていた。
古くは中学生までしか続かなかったサッカー。
今でも中学時代の仲間に会うと、「あのままサッカーやってればプロになってたかもしんないのにな」と言われる。
それほどまでにサッカーに熱中していたし、地域ではそこそこ名の売れた選手だったにも関わらず続けることができなかった。
高校に入ると遊び仲間ができ、夢中になっていたサッカーをあっさり捨てて、遊びにすべてを捧げるようになった。
いわゆる遊び人としてデビューを果たしたのだ。

振り返ってみると、そんな風に何をやっても続かない僕にも3つだけ続けてこれたことがあった。
それは『サーフィン』、『読書』、『日記をつけること』。
この3つは20年以上続いていることだ。
翻ってみると、それ以外のことは全て途中でドロップアウトしたということにもなる。

サーフィンは高校生時代に始めたが、すぐにやらなくなってしまった。
そもそも『女の子にモテたいから』という動機が極めて不純だったため、続かなくなるのは時間の問題だったのだろう。
しかし、22歳のときに船で地球一周をしたときに、『日本に戻って何がしたいか?』という自問に対する答えが、『海とともに生きたい』ということだった。
そのことがきっかけで再びサーフィンに目覚めたのだ。

『読書』は高校生時代からほぼ欠かさず毎日続けている。
別に続けようと思って意識的にやっているわけではないのだが、気がついたら読まずにはいられない人になっている。
『日記』に関しては昨日書いたとおり、20年間毎日続けていることだ。
>> 次のページ >> 続くことの共通点とは??

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残ってほしいものがここにはある

いつまでの変らないでほしい光景がある

いつまでの変らないでほしい光景がある


『発展』という言葉は、普通ポジティブな言葉として使われることが多い。
しかし、現在の経済至上主義の世の中においては必ずしも発展がいいこととは思えないこともあるのだ。

バリ島にやってきて1年が過ぎた。
僕の場合、バリが大好きで大好きで念願叶ってバリに移住したわけではない。
もちろん、嫌いではなかったし、好きではあった。
しかし、もろもろの事情から海外に移住しようという決断が先だった。
なんというか、移住先を決める際に消去法で残ったのがバリだった、という言い方が一番適切な表現かもしれない。

移住したてのころ、日本人移住者からバリの社会は日本の30年くらい前の世界だ、という話を耳にした。
ある側面から考えてみるとその通りだと思った。
30年前の日本。
僕が10歳のころの世界だ。
昭和時代。
近所付き合いも色濃く残り、地域のコミュニティも今よりあった気がする。
マイカーが我が家にやってきたり、ビデオデッキが設置されたりと物質的に豊かになり始めた頃だ。
大人たちは馬車馬のように働き、日本経済の発展を支えていた時代だ。

>> 次のページ >> バリの現状は?

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とある白人サーファーとのお話

どんより曇ったクタビーチ

どんより曇ったクタビーチ


雨期真っ盛りのバリ島。
重たそうな黒い雲がやってきたと思いきや、一気に豪雨が降りしきる。
夕立ちだけでなく、朝立ち、昼立ち、夜立ち、夜中立ちと一日中どこからでも雨がやってくるのだ。
曇天のなか、クタビーチは昨日に続いて小波だった。
サーファーの姿もまばらだった。
ビギナーサーファーが波乗りを楽しんでいた。
ビギナーが楽しむにはもってこいのコンディションだったのだ。

今朝、こんなことがあった。
小さいながらセットの波が入ってきた。
おそらく本日一番の波。
たまたま一番アウトサイドにポジショニングしていた僕の目の前にピークが現れたのだ。
「おっしゃ〜」
ヨロコビつつ波にタイミングを合わせる。
計ったようにドンピシャなポジション。
テイクオフをしようとした瞬間、こちらに目もくれずにパドルをしている白人のオジサンの姿が目に入った。
パドルの仕方からしてビギナーであることは明らかであった。
僕は「Sorry, I am going!!」と白人のオジサンに声をかけた。
その声に気がついてくれて波に乗る寸前でパドルを止めてくれた。
その波はやはり今日一番の波で、アウトからインサイドまで奇麗にブレイクしていく波だった。
その波を乗り終えて、満足顔でニーパドルをして沖に出るとそのオジサンがすごいイキオイで僕のことを睨みつけてきたのだ。
「何?なんか不満があるの?」
と聞くと、
「あんた、さっきからたくさん波に乗ってるんだから譲ってくれてもいいんじゃない?」
と明らかに怒っている様子。
確かにビギナーサーファーたちに比べるとたくさん波に乗っていたが、彼らの乗れない波に乗っていたし、ドロップインや邪魔をした覚えもない。
「はあ? おじさん、サーフィンにはルールがあるんだよ。ピークから乗ったサーファーが優先だし、1つの波には1人しか乗らないのがルールだよ。知らないの?」
と僕もまくしたてた。
「いや、知ってるけど・・・」
「だったら邪魔しそうになったアナタが僕に謝るべきなんじゃない?」
>> 次のページは >> 後悔の念が・・・

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サーフィンこそ世界平和のモデルなのだ!?

人もまばらなクタビーチ

人もまばらなクタビーチ


12月とは世界的に忙しい季節なのだろうか。
バリ島へ足を運ぶ観光客の姿がめっきり減っているようだ。
観光のメッカであるクタビーチでさえ閑散としていた。
まあそれでも太陽に力があるのでそこまで寂しい感じにはならないのだが、それでもやはりいつもに比べると相当に静かなのである。 続きを読む…

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サーファーがバリ島に住むということは

Kick, Miki, Kei

Kick, Miki, Kei


一年前。
僕はバリで暮らし始め、徐々に生活は落ちつき始めていた。
毎日のように海にいっていたが、僕にとってはローカルサーファーで友だちといえる人は1人もいなかった。
そもそも僕の場合、バリが大好きで通いまくって念願叶ってバリに移住したわけではない。
移住前、バリには撮影などの仕事以外では来たことはなかった。
なので入念に人間関係を作ってから移り住んだわけではなかったのだ。

お客さんとしてバリにやってくるのと、そこで暮らすのではバリニーズたちの受け入れ方は全く違う。
年に数度バリに遊びにやってくるのと、そこで暮らすということには大きな隔たりがある。
移住当初、僕の挨拶に笑顔で答えてくれるサーファーは少なかった。 続きを読む…

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出欠管理・スケジュール管理に『サークルスクエア』

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