SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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第2章 有本圭自伝『少年おじさん』第15話 ~海からの帰り道~

今から約16年前(2011年現在)、僕の湘南ライフが始まった。(前回はこちら
パチンコ屋さんでの仕事は2交代制で、早番のときは朝一、夕方の2ラウンド、遅番のときは午前中たっぷりサーフィンすることができた。
今まで1時間かけて車で通っていた辻堂海岸まで自転車で約10分。
なんとなく自転車で海に向かっている自分の姿に酔いしれたりしていたのを思い出す。

深夜の少しエッチなテレビも堂々と見ることができたりして、僕は自由の翼を手に入れたように一人暮らしを満喫していた。
湘南に移住して2週間が過ぎるころになると新しい生活にも徐々に慣れはじめていた。

マーボロイヤルは今も辻堂にある老舗サーフショップ

マーボロイヤルは今も辻堂にある老舗サーフショップ

そんなある日、海からの帰り道に辻堂の老舗サーフショップ『マーボロイヤル』でサーフボードをなんとなく眺めていたときのことである。
そのショップのオーナーであり、レジェンドサーファーであるマーさんこと小室正則プロに声をかけられた。

>> 次のページ >> 小室プロの一言で人生が変わった!?

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第2章 有本圭自伝『少年おじさん』第14話 ~ゴロリと人生が動いた瞬間~

地球一周旅行で完全に海中毒症状が顕著になった僕はいつでもどんなときでも海を感じてないとダメな体になっていた。
都会の雑踏の中にいると呼吸が速くなり、胸が苦しくなり、手にじっとりと汗をかき、白目をむきそうになってしまうのだ。
まさに海中毒末期的症状。
僕はとにかく時間の許す限り家から一番近い湘南の海へと足繁く通い詰めていた。

海バカ初期時代の少年おじさん ~有本圭~

海バカ初期時代の少年おじさん ~有本圭~


ほどなくするとアルバイトもせずに海ばかり行っていた僕は、今度は極度の金欠症の症状が顕れ始めた。
さすがに22歳にもなった大の大人がこのまま仕事もせずにブラブラ親のスネをかじりながらサーフィンばかりするわけにはいかないという一般常識範囲内の意識も芽生え始めた。
そこで僕は持前の『単純まっすぐ思考』で「ならばいっそのこと海の近くで暮らしてしまおう」という考えに支配されはじめた。
しかし、海の近くで暮らすにも先立つものがない。
アパートを借りるようなお金はどこにもなかったのだ。

そこで、僕は「ならば海の近くで住み込みでできる仕事を探そう」という策を編み出した。
当時の求人雑誌『FROM A』を火金週2回欠かさず購入し、住み込み&海近、さらにはサーフィンする時間がありそうな仕事を物色し始めた。

探し始めてわかってきたことは、住み込みの仕事はそうそうないということ。
あるのはパチンコ屋か新聞屋。
僕はパチンコも新聞も好きではなかったが、住み込みで仕事を得て海の近くに住むにはその2択しかなかった。

朝がとても苦手だった僕は『新聞屋=朝が早い』というイメージが強かったので、ドラフト1位指名はパチンコ屋に決めた。
1995年7月22日、僕は茶色に染めていた髪を黒く染めて辻堂南口にあったパチンコ屋さんの面接を受けた。
いかにも不健康そうな青白い顔をした小太りの店長が僕に怪訝そうな視線を投げかけてきた。
どうやら『サーファー=しょうもない人種』という、まあある意味ではタダシイ見識を持つ人だったらしく、意地悪な質問をたくさん投げられた。
僕はなんとかうまくかわしながら応対したが、どうもあまりウケが良くないように思えた。
「では採用の場合は明日18時にこちらからお電話さしあげます」
と抑揚のない声で言われ、僕は席を立った。

>> 次のページ >> 採用か、それとも・・・!?

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第一章 有本圭自伝 少年おじさん ~まとめ~

今から約17年前、1994年、当時21歳だった僕は船による地球一周旅行に出かけた。
思い起こしてみると僕の人生を大きく変えることになった経験だった。
大袈裟に言うと人生の分岐点だったように思う。
第一章(プロローグ、1話~13話)は僕が地球一周旅行へ行くことを決意するところから、旅へ出掛て、戻ってくるまでの様を描いた。

降りたところでひと安心っ

降りたところでひと安心っ

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有本圭自伝『少年おじさん』第13話 ~旅の終わり→ダメ人間化→そして新たなステージへ

イタリア自由気まま身勝手旅からなんとかかんとかニューヨークへと降り立ち、僕らは船に合流することができた。(前回はこちら
2週間ぶりに乗船するとなんだか人間関係が大きく変わっていることを肌で感じた。
今まで交流がなかった人たちがいきなりグループになっていたり、おしどり夫婦が何やらよそよそしくなっていたり、見たことのない人たちの姿を多く見かけたり・・・
僕はそれなりに戸惑い、どうもケツの座りが良くなかった。

ジャマイカ キングストンにて ~有本圭~

ジャマイカ キングストンにて ~有本圭~


船はジャマイカへと入港していった。
僕は新顔の『ハマちゃん』という大阪のサーファーと仲良くなっていた。
彼は現在、湘南にあるサーフィン、スケボーのメーカー『サーパストレーディング』という会社に勤めていて、いまでも友人として付き合っているのだ。
ジャマイカではこのハマちゃんと旅をし、さまざまな刺激を受けた。
キングストン港を一歩降り立つと、今までとはひと味もふた味も違う雰囲気だった。
ドレッドロン毛の人たちが当たり前のようにその辺にいて、フツーに道端でマリファナをくわえてふかしていた。
まるでタバコを吸うようにマリファナを吸っていたのだ。(1994年のお話です) 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』第12話 野良猫隊はイタリアで世界的迷惑組織になったのだ

『野良猫隊』(植木屋コマッキー、心優しいカトキチ、僕)は僕らを乗せてきた船とイタリアでしばしのお別れをした。
船が出港してしまうと、いきなり言いようのない寂しさと不安が襲ってきた。
まるで我が家が水平線の向こうへ消えていってしまうようで、「本当にこれでよかったのか?なにかトンデモないことを僕らはしでかそうとしているのではないか?」と急に足がすくんでしまったのだ。

イタリア電車の旅が始まった

イタリア電車の旅が始まった

僕らは反対を押し切り、半ば強引に下船し、イタリアを2週間旅してまわることにしたのだった。(前回はこちら
僕らの計画は「イタリアを旅をしてまわる」、ということだけで、船を見送ったあとにはじめて「さあどうするか?」となってしまったのだ。
イタリア最南端のマフィアの巣窟、シチリア島にいた僕たちは、とにかく本土へ移動しよう、ということになった。
港の近くのカターニア駅に着いたはいいが、当然今度は「さあどこいく?」ということになる。
観光ガイド本などを持っていない僕らは当時マラドーナが所属していたナポリというサッカーチームの名前を知っており、そのナポリがわりと近いことを知り、「じゃあナポリへ行こう!そしてナポリタンを食おう!」ということになったのだ。 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』第11話 マフィア島でワールドカップ観戦

パルテノン神殿 ~ギリシア~

パルテノン神殿 ~ギリシア~


すったもんだの連続だった地球一周船の旅もいよいよ中盤にさしかかってきた。(前回はこちら
エジプトに別れを告げ、次の寄港地ギリシアでは古代遺跡などを見てまわった。
そして僕らを乗せた船はイタリアへ向けて順調な航海を進めていた。
僕ら『野良猫隊』(植木屋コマッキー、心優しいカトキチ、私有本圭)は次なるアヤシイ計画を立て始めていた。

最初の頃は「スバラシイ!」と感動の連続だった船上生活に、ハタチを超えたばかりの僕らはやや物足りなさを感じ始めていた。

朝起きる → デッキに上がる → 海を眺める → そして海を眺める → さらに海を眺める

といった、『四六時中朝昼晩海眺める生活』。
ゆったり流れる贅沢な時間より『刺激』を追い求める年ごろだったのだ。
『少年おじさん』というのは現在の僕のことで、その当時は『青年少年』とでもいったところだろうか。

予定では、船はイタリアを出港した後、チュニジアに数時間停泊し、ニューヨークへ寄港するまでの約2週間はほぼ船上生活をしいられることになっていた。
僕ら『野良猫隊』は、
「もう船はイヤ!」
となってしまっていたので、
「だったらイタリアに2週間滞在して、そこから飛行機でニューヨークに飛んで、再び船に合流しようではないか」
という計画を立てたのだった。 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』第10話  エジプトで悪の契約

地球一周船の旅といったらまずまっさきにセレブたちの姿が思い浮かぶ。
人生に余裕がある者たちがカジノなどをしながら豪華で贅沢な船旅を楽しむ。
寄港地では現地のグルメを楽しみながら観光地を巡り、せっせとショッピングなどにいそしむ。
そんな『セレブ地球一周船旅』と対極にあったのが今から15年前に僕が経験した『庶民以下野良猫隊地球一周船旅』だった。(前回アフリカ編はこちら

僕を乗せたゴールデンオデッセイ号は7カ国目であるエジプトへ入港した。
エジプトといえば誰がなんと言おうと『ピラミッド』だ。
「エジプにトは行ったことあるけどピラミッドは見てないんよ」なんていうことになってしまったら孫の代まで嘲笑、非難、軽蔑、ありとあらゆる辱めを受けそうなので、とにかく僕ら『野良猫隊』(植木屋コマッキー、心優しいカトキチ)は、ポートモレスビー港からバスを使ってクフ王のピラミッドを目指した。

スフィンクスの後ろ側を観光バスが行き交わう

スフィンクスの後ろ側を観光バスが行き交わう

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有本圭自伝『少年おじさん』第9話 日本だったら大変な問題・・・

大型客船『ゴールデンオデッセイ号』に乗船してから3週間が過ぎようとしていた。
たった3週間の間で、おそらく1年以上の経験をしたように思えた。
なにしろ乗船翌日には彼女ができ、その3週間後にはその彼女から「ちょっと距離をおきましょ」と言われ、さらにその間に山ほど新しい友人知人ができ、そうこうしているうちに6カ国目であるアフリカ大陸のケニア、モンバサ港に入港したのだ。(前回はこちら

例のごとく『オプショナルツアー』(寄港地でのツアー)に参加してない僕ら(コマッキーとカトキチ)は船が港に着くとすぐにレンタカーを探した。
アフリカといえば、草原、草原と言えばサファリ、ということで、いつものように原チャリを借りてうろうろするというのはなんとも恐ろしい結果を招きそうだったので今回は車を借りることにしたのだ。

レンタカー屋で「4WDレンタカープリーズ」とお願いしてみたが、どうも反応がうすい。
「あんたら車借りてどこ行こうってんだい」
と険のある表情でケニアのおっちゃんが僕らをニランデきた。
「そりゃー、サファリだよ、草原を走って野生の王国を堪能するんだよ」
と僕らも反撃した。
しかし、なかなかそのおっちゃん首を縦にふらない。
ようは、「あんたら何にも知んない日本人が自分たちで車を運転して草原にワーっと入っていったらすぐにライオンなどの肉食動物のご馳走になるだけだからやめときな。とっとと船に帰んな。はい、けえったけえった」ということのようだった。

アフリカのケニアにまでやって来て、野生動物が危ないからといって、そのまますごすごと引き下がり、船に戻って安心して眠る、なんていう選択肢は僕らにはなかった。
なにがなんでもアフリカの大草原で『野生の王国』(昔、日曜日の夜にやっていた番組)を体験するんだ!、という強い意志をもってそのおっちゃんと交渉を重ねた結果、「ガイドをつけるなら行ってもよろしい」ということになった。
ちょっと割高にはなってしまったが背に腹はかえられない。

デニという名の、やはり表情に険がある僕らよりおそらくやや年長のガイドがついた。
アフリカ人というのは黙っているとやや恐ろしい感じがするのだが、ひと度仲良くなってしまうと人懐っこい子供のような笑顔をみせてくれた。

サファリ in ケニア ~左)カトキチ 右)少年おじさん~

サファリ in ケニア ~左)カトキチ 右)少年おじさん~

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有本圭自伝『少年おじさん』 第8話 フィッシュくんのくせに

ベトナムでのすったもんだの影響で一躍有名になってしまった僕。
まあ、あまりいいイメージで有名になったわけではなかったが、乗客の間での知名度が上がったのは間違いなかった。(前回はこちら

完全にスリランカ人化した有本圭 ~スリランカ~

完全にスリランカ人化した有本圭 ~スリランカ~

僕を乗せた船は順調にシンガポール、マレーシア、スリランカに立ち寄りつつ、徐々に赤道へと近付いていった。
船を下りるたびに、
「お、けいくん、ちゃんと時間どおりに帰ってこないとダメだよっ」
などと様々な人からイジラレたが、なんだか有名人になったようで悪い気はしなかった。

船での生活は実は案外単調で、毎日毎日同じところで食事をし、海を眺め、本を読み、同じ人たちと会話をする。
22歳だった僕にはエネルギーが有り余ってしまい、船内生活が2週間を過ぎたあたりからちょっと物足りなさを感じるようになってきてしまっていた。
乗船後、すぐに付き合い始めたMちゃんともなんとなくぎくしゃくし始めた。
まだ若かった僕にとって、毎日毎日特定の彼女と顔を合わすということが徐々になんとなく窮屈に感じ始めてしまったのだ。 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』 第7話 銀河鉄道999かっ!?

ベトナムの地は甘くなかった。
ふにゃふにゃの日本社会で育った僕らが通用するような甘い場所ではなかった。
と、まあそんな風に書くと少々大げさなのだが、ベトナムで同行した植木屋コマッキーの運がなかっただけなのかもしれない。
昼めしを食っている隙にコマッキーのバイクがパンクさせられ、修理代をふんだくられ、そのうえ再びコマッキーが帰り道に人をはねてしまい、そこでも『お詫び賃』をもぎ取られ、まさしく『ケツの毛まで抜かれた』という状態になってしまったのだ。(前回はこちら

そんな事情で僕らは植木屋コマッキーの金欠状態に付き合う形でベトナムの夜は船に戻り、いつもの船室のベットにもぐり込むというなんとも味気なくも情けない夜を過ごすことになってしまったのだ。

「あ~あ、本当だったら今ごろフエに行ってるはずだったのにな~」

と嘆きつつ、停泊している船で翌朝を迎えた。
当然、船にはほとんど人影がない。
せっかく停泊しているのに船で泊るようなモノ好きはそうそういないのだ。

ダナンは人のエネルギーが溢れていた

ダナンは人のエネルギーが溢れていた

僕は植木屋コマッキーを見捨てるわけにもいかず、心優しいカトキチと3人で港町ダナンを探検することにした。
もちろん食事中も目の届く場所にバイクをとめ、運転は人をひいたりしないように、僕らは慎重に行動を重ねていった。

いろいろな事があったが、僕のベトナムに対する印象は決して悪いものではなかった。
ベトナムの人たちは人なつっこく、親切な人が多かった。
もちろん日本に比べると治安が悪い部分もあるが、それは世界のどの国に行っても同じことなのだ。 続きを読む…

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