SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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ドジ井坂ヒストリー<渡米> 【プロサーフィン界初代チャンピオン ドジ井坂 その4】

アーニー田中のお店の前で~ドジ井坂~

アーニー田中のお店の前で~ドジ井坂~

サーフボード工場でシェイパーとして稼げるようになっていた井坂は憧れだったアメリカへ渡る決意をした(前回はこちら
19歳だった井坂はさっそく航空券を購入し、アメリカに渡る準備をするが、当時未成年者が単身で海外に行くこと自体が非常に珍しいことで、不審に思ったアメリカ大使館が井坂を呼び出し、渡米の目的を説明するよう求められた。
なんとかその場を乗り切り、渡米の許可がおり、いよいよ単身アメリカに渡ることになった。知り合いの伝をたどって、当時カリフォルニアで大人気だった『ERNIE TANAKA』(アーニータナカ)というサーフボードブランドの工場へまんまと潜り込むことになり、意気揚々と日本を飛び立ったのだ。

そしてついに念願が叶い、LAの空港に降り立った。
空港を出るとアーニータナカのスタッフが迎えに来てくれており、井坂を歓待してくれた。
車に乗り込み、車窓から目に入ってきた風景すべてが新鮮だった。
憧れていた映画の世界が目の前に広がっていることに感激を覚え、日本との違いに衝撃を受けた。
当時、街灯などがほとんどなかった日本に比べると、アメリカの夜の街が明るいことに驚き、アメリカのパワーを思い知らされた。

アメリカでの生活は、午前中はアーニータナカのサーフボード工場で修業し、午後は周辺のサーフスポットでサーフィンという夢のような生活を送った。
文化として根付いているアメリカのサーフィンの世界をその目でしっかり焼き付けていったのだ。
サーフボードを作る技術には大差はなかったが、サーフボードのコンセプトやデザインなどには大きな影響を受けた。
1ヶ月間の滞在で、アメリカンカルチャーをお腹いっぱいに吸い込んで日本へ帰国していった。

新島をチャージするドジ井坂

新島をチャージするドジ井坂

完全にアメリカナイズされた井坂は日本に戻るとそのギャップに愕然としながらも、翌年の1969年、全日本サーフィン選手権で優勝し、日本のサーファーのトップへと駆け上がっていった。
日本で向かうところ敵なしだった井坂はサーフィンアスリートとして世界へ出ることとなっていったのだった。
  つづく

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