SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

ドジ井坂ヒストリー<ドジ井坂の由来> 【プロサーフィン界初代チャンピオン ドジ井坂 その5】

アメリカにて ~ドジ井坂~

アメリカにて ~ドジ井坂~

1969年9月に全日本サーフィン選手権で優勝した井坂は世界へ羽ばたくことになった(前回はこちら
その年の11月にメキシコで開催されることになっていた世界大会へ出場するために日本を飛び立った。
しかし大会が開催されるはずのビーチに行ってみると、大会が開催されるような気配が全くないのだ。
選手たちが集まっている様子もない。
大会のテントも見当たらない。
ただ日常のメキシコのビーチの風景がそこにあるだけだった。
よくよく調べてみるとその大会は数ヶ月前に延期になっていることが判明し、その情報を知らなかった井坂は世紀の『ドジ』をしてしまったのだ。
その出来事をきっかけに周りに「ドジっ」と呼ばれるようになり、いつ間にか『ドジ井坂』という呼び名になってしまったのだそうだ。

さて、ドジってメキシコまで行ってしまったドジ井坂。
そのまますごすごと日本に帰るほど柔ではない。
せっかくメキシコまで来たんだったらいっそのことこのままアメリカに行ってしまおうということになり、着のみ着のままアメリカへ入国した。 前回お世話になっていたアーニータナカ(サーフボードブランド)の工場に潜り込んでシェイプ(サーフボードの原型を作る作業)の仕事と引き換えに住む所と食事を確保してしまったのだ。
そして結果的にそのまま7ヶ月間アメリカに滞在することになったのだ。
ドジ井坂は自身のドジのおかげでより深くアメリカを知り、その後の人生に多大な影響を与えることになったのだ。

日本に戻るとTED阿出川氏のサーフボード工場で作られた『ドジ井坂モデル』というサーフボードが飛ぶように売れ、一躍時の人となっていったのだ。
そして1972年、ドジ井坂のオリジナルサーフボードブランド『COSMIC』を立ち上げることになった。

当時のCOSMICのサーフボード

当時のCOSMICのサーフボード

工場でひたすらサーフボードを作る日々が始まったが、作れば売れるという時代で徐々に仕事へ没頭していった。
仕事に没頭するあまり、海に行く機会は減っていたが、1976年JPSA(日本プロサーフィン連盟)の第一回大会で優勝し、サーファーとしてもTOPに君臨し続けた。
1980年にはCOSMICに終止符を打ち、日本で最初のサーフィン専門誌『サーフィンワールド』の編集長として雑誌編集の世界へ飛び込んでいった。当時、人気雑誌だった『ポパイ』や『平凡パンチ』などにもブームになっていたサーフィンの記事を入稿したりもしていた。
1982年にはサーフィンの世界大会『丸井プロ』をプロデュースするとともに、DJとしても活躍した。
それをきっかけに当時大人気を博していた深夜のテレビ番組『オールナイトフジ』でサーフィンコーナーを担当することになった。
そこでは波予報、波情報、海外のサーフィンレポートなどを地上波を通して行うという画期的なことをやってのけたのだ。
未だ、サーファーとしてテレビ番組のレギュラー出演を全国区でやった人物はドジ井坂をおいて他にはいないのだ。

その後もウィンドサーフィン国際大会やスノーボードの世界大会などを手掛け、マルチな才能を開花させていったのだ。
そのようなさまざまな経験を経て、現在活動中の『ビーチクラブ』へとつながっていったのでした(ビーチクラブ
  つづく

タグ: , ,

Facebook Comments:



© 2010 SWP | サーフィンと海遊びのブログマガジン. All Rights Reserved.

出欠管理・スケジュール管理に『サークルスクエア』

http://wakutuku.jp/