SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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生死は紙一重 〜第1回『SWP支援隊』被災地レポート〜

※これは、被災地石巻エリアに入っているまさしからのメールをそのまま載せています。

<Aさんの話>

車に乗っていたら助からなかったかも

車に乗っていたら助からなかったかも

聞いたのですが、Aさんは津波警報を聞いて車で逃げていました。
近所の老人が住んでいる家の前に民生委員のおばちゃんがいて、おじいちゃんをよんでいます。

そこを通りかかったAさんは後ろから津波が迫ってくるのを見て、おばちゃんに早く逃げろ!といいます。
しかしおばちゃんはここのおじいちゃんを連れていかないと!といって聞きません。

Aさんはドアをこじ開け、おばちゃんとおじいちゃんを連れ、2階に上がります。
津波の威力は尋常ではなく、周りの家々も家ごと流されていったそうです。

両隣の家も流されましたが、Aさんのいた家だけは幸運なことに流されなかったそうです。
しかし周りの家が流されたときの、助けを求めながら流されていった人たちの様子が忘れられず、今でも夢に出てくるそうです。
<母の話>

無事で良かったです。まさし母

無事で良かったです。まさし母

その日、最初の地震があり、祖母の様子が心配になった母は会社を出て車に乗りました。
車で移動中、道路に水が湧いてきました。
会社は海から1キロも離れていない場所です。

最初は水道管が壊れたのかな?と思ったそうです。
しかしみるみる水かさが増して、これは危ないということに気づき、車を捨てて逃げます。

津波に襲われながら、一緒になった同僚1人と、近くの民家のフェンスをのぼり、物置小屋にのぼり、それでも足りずに家屋の屋根に登ります。
物置から飛び移れるところに屋根があってよかった。

第一波を屋根でやり過ごし、少し水かさが減ってきたので屋根から降りようとすると、近くの裏山にいた人たちが、また来るぞー!そこにいろ!と叫んでくれました。

結局、その屋根で一晩過ごし、裏山の人たちに翌日助けられます。
近くの湊小学校に行きますが、まだ避難所はなく、壊れた窓から入ったそうです。

避難生活は壮絶で、大人に支給される水は1日あたりペットボトルの蓋に1杯でした。
ボトルではなく、蓋です。
衛生状態も悪く、食料の配給もありません。

ヘリがきて、やった!と思っても人が降りるだけ。
近くの家の人が善意で差し入れてくれなければ、とても生き残れる状況ではなかったようです。

母はこのような中を歩いた

母はこのような中を歩いた

家に戻るには川を超える必要がありますが、橋は落ちて向こう岸に渡れません。
それでも川の向こうからやってくる人もいる、という情報を得て、母は自宅までの10キロを歩いて移動することにします。

ほとんど飲まず食わずの中、瓦礫の中を母が歩いてきた様子を想像すると、涙がでます。
川は橋のあったところに近隣の工場から流れたタンクや船などが漂着し、その上をつたって渡りました。

途中で祖母の無事を確認し、一晩休み、翌日自宅近くまでやってきます。
しかし自宅は水の中で、辿り着けず、結局近くの小学校に入所します。

この小学校は比較的恵まれた状態で、知り合いもいました。
その後、Googleの避難名簿サイトに名前がのり、それを見つけた親戚が僕に連絡をくれたり、別の親戚にお願いして小学校に行ってくれたりしました。

僕が会ったときには顔色もよくて、元気でした。
母と同じ会社の人もまだ行方がわからない方がいます。
父も母については、場所が場所だけに生き残れなかったかもしれないと考えていたそうです。
本当に生きててくれてよかった。

そして皆さんの協力を得て、母と再会できたことを、感謝しています。
ありがとうございました。

伊藤匡

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