SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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チャレンジしてこそ

スランガンは雨季の代表的なサーフスポットだ。

ビジターウェルカムなスポットなので自然とツーリストが集まってくる。

大混雑することも少なくないが、ラッシュアワーを避ければノンストレスでサーフィンを楽しむことができる。

誰もいないポイントでサーフィンするのもいいが、やはりちょっと寂しくなってしまう。

中年は何かと人恋しくなってしまうのだ。

ということで人肌を求めてスランガンに行ってみた。

 

先日、年明けからショートボードに再挑戦しているとの記事を書いた。

おかげで会う人会う人に「おっ、コソ練ですか?」とか「あ〜、ショートやってる〜」などとイジられてしまった。

もうこうなるとカゲレンもクソもない。

なので堂々とコソ練(ってのも変か)してやったのだ。

 

波のサイズは頭前後。

たまのセットは頭半近くあった。

メロウな波質だったが、奇跡の1本をメイクしてしまったのだ。

テイクオフから浅めのチューブを抜け、でっかいカービングターン(自分的に)。

なんかちょっと乗れるようになってきてる?

そんな勘違いをするお年頃。

ある意味サーフィンが楽しい時期に突入しているのだ。

 

サーフィンはチャレンジしている時に夢中になる。

自分ができることばかりやっていても飽きてしまう。

マンネリ化したガールフレンドとデートするようなものだ。

やっぱり新しいガールフレンドをゲットしにいかなきゃ。

ちょっと違うか。

まあそんな感じの心境になっているのだ。

直近の目標はエアリアルってことでポンコツ体にムチを入れている今日この頃なのである。

有本圭

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シンクロニシティ

雪山の代わりに

雪山の代わりに

バリ島に戻ってきた。

12月の日本は想像以上に厳しい寒さだった。

成田空港に降り立ったその夜に、娘が嘔吐下痢を発症した。

初めて経験する冬の洗礼を浴びることになってしまったのだ。

ほどなくして完治してくれたが、日本滞在中はいつものハイテンションには遠く及ばなかった。

楽しみにしていた雪山はお預けとなり、がっかりムードに包まれた。

その穴埋めをしてくれたのがアイススケートだった。

冬は厳しいものだったが、楽しみも覚えてくれてホッと胸をなでおろした。

 

娘にとっては厳しい冬の滞在となってしまったが、ボクにとってはエキサイティングな日々となった。

偶然が連続的に重なり合い、まるで何か大きな力に導かれているようだった。

シンクロニシティ。

まさにこの言葉がしっくりとくる。

 

2018年に新たなるプロジェクトを立ち上げる。

今回経験した数々のシンクロはそのプロジェクトに関わることばかりだった。

このプロジェクトがきっとボクにとってたいへん重要な意味があることを感じさせるには十分な出来事だった。

基本的構造が単純かつ楽観的なボクは必要以上に強くそう思ってしまったのだ。

 

2017年はいいんだか悪いんだか今ひとつ判断のつきにくい一年だった。

特筆するほどの悪い出来事もなかったわけなので総じていい一年だったのかもしれない。

しかしたいした飛躍もせずになんとなく今までの流れ通りの予測範囲内で推移した一年だった。

2018年はなんとかして飛躍したいと願いつつ、混乱を極めている書斎を片付け始めている。

 

 

有本圭

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Keep surfingがもたらすもの

これを得るためにバリに移住しました

これを得るためにバリに移住しました

サーフィンはボクの人生のすべてとまでは言わないが、やはりほとんどすべてと言っていい。

少々大げさに言ってしまえば『すべて』ということでいいのではないだろうか。

 

プロサーファーとしての何年かを過ごし、その後会社経営に携わりながらもサーフィンと向き合い続けてきた。

東日本大震災をきっかけにもう一度自分の人生を見つめ直すことになった。

人間、いつ死ぬかわからないことを身を持って実感したのだ。

いったい自分は何を求めて、何を欲しているのか。

それは西麻布に住むことでも、フェラーリに乗ることでもなかった。

その答えはごくシンプルなものだった。

常夏で波のある場所で家族とともに時間に縛られずに暮らしていきたい。

そしてそれはその気にさえなればそのときにすぐに叶うことだった。

いつ、何が起きて、人生なんてどうなってしまうのか予測すらつかないことがはっきりとわかってしまった以上、すぐに行動に出なくてはならないと思った。

先延ばしにしている時間的な余裕などないのだ。

 

というわけで2012年にバリ島にやってきたわけであるが、大人になってからの人生を振り返ってみるといつもライフの真ん中にいつもサーフィンがあった。

サーフィンがなかったら湘南で暮らすこともなかったし、わざわざ事務所を海の目の前に構えたりもしなかった。

世界中を旅することもなかったかもしれない。

 

多くの友人たちはサーフィンを通じて出会った。

サーフィンが運んできてくれた人々が今のボクを支えてくれている。

テイクオフがどうとか、ボトムターンがああとか、スキル的な部分もいろいろあるが、サーフィンを続けていくこと、つまり『keep surfing』がもたらしてくれるものは思った以上に大きい。

それは最高の仲間達であったり清々しい瞬間だったり、自然を感じ取れる時間だったり。

もちろん仕事だって運んできてくれる。

波と一緒にいろいろなポジティブを運んできてくれるのがサーフィンなのだ。

だから何はともあれKeep surfingなのだ。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

ちなみに今日は貸切りエアポートレフトでした。感謝感謝。

 

有本圭

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My Bali Story

kick隊長のおかげで今の僕が

kick隊長ののおかげで今の僕が 

ボクの場合、バリが大好きで大好きで念願叶ってようやくバリ移住を果たしたというわけではなかった。
海外に移住をしようと思い立ち、何箇所かの候補地を上げたうちの一つがバリだった。
子どもを育てる環境、治安、経済面などをもとに熟考を重ね、バリに決めたのが2011年。
過去に取材の仕事で2度ほどバリ訪れたことがあったが、あくまでも表面上のバリしか知らなかった。
まさに右も左もわからずのバリ移住だったのだ。

波の素晴らしい場所には少なからずローカリズムが根付いていることが多い。
場所によってローカルルールが異なってくる。
その地域特有の価値観や考え方が反映されている。
もちろん世界のサーフアイランドであるバリ島にも独特なローカリズムが存在していた。

移住当初、ボクはそういった深い部分までは到底理解していなかった。
ローカルサーファーたちとの接し方に戸惑うことも少なくなかった。
挨拶しても無視されることもあった。
ただポイントをチェックしているだけで追い出されるようなこともあった。
明らかにわかっていながら前乗りをされることも1度や2度ではなかった。
バリってなんなんだろう。
バリのことを嫌いになりかけていた時期もあったのだ。

>> 次のページは >>  ある人との出会いをきっかけに

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意外と難しい? 自分を大切にすること

バースデイサーフィンを堪能しました!

バースデイサーフィンを堪能しました!


44歳になった。
なってしまった。
まあ、もう43も44も変わらないのであるが、一応Happy Birthday to meというめでたい日なのである。

ときどき、「自分のこと大好きでしょ?」と言われることがある。
そう、何を隠そうボクは自分が大好きなのだ。
自分好きで何が悪い?
最近ではそんな風に開き直る図太さも兼ね備えてしまった。
オヤジってのはつくづくタチが悪いものなのだ。
生まれ変わったらやっぱり自分に生まれてきたいなんて思ってしまう。
そんなボクは相当におめでたい奴なのかもしれない。

でも、だったら自分のことを大切に生きてきたか、というと案外そうでもない。
最近では、自分を大切にするってのは生半可なことではできないなと思うようになった。
自分を大切にするにはきっちりと自分コントロールしなくてはならない。
自分に厳しくなくてはならないのだ。

>> 次のページは >> 自分を大切にするということ

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日本帰国?からの流れ


バリ島に拠点を移してからも2ヶ月に1度ペースで日本に戻り、仕事のベースはあくまでも日本というスタイルを続けてきた。
日本で仕事を作り、バリに持ち帰ってそれをこなすという逆輸入スタイル。
ん? こういうのを逆輸入っていうのか?
まあどっちでもいいか。
とにかくそんなスタイルで続けてきた。

そんな状況を冷静に考えてみると、「だったら日本で暮らしていた方が楽じゃない?」と考えるようになっていった。
だって、そうでしょ、どう考えても。
「3年間はバリで生活する」という当初の目標は達成しているしもういいんじゃない?
外国人として外国人枠で暮らすというのも何かと窮屈なものだ。
仕事ひとつするのにも許可が必要だ。
いや、もっというと住むことにもややこしい許可が必要だ。
やっぱり日本でのびのびと仕事をしたほうがより良い結果を生み出せるのではないか。
そんな考えが浮かんでは消えていったのだった。

>> 次のページは >> 大きな流れが・・・

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バリ島生活も4年目に

バリ島

バリ島


早いものでバリ島生活も4年目に突入した。
まあとりあえず2年はバリで暮らしてみようよ、ダメなら日本に帰ればいいんだしさ、と始まったバリ生活。

言葉では言い尽くせないくらい色々なことがあった。
文化の違いに戸惑うこともあった。
体に染み付いている日本の常識なんてものがまったく通用しないことを思い知った。
誤解され、後ろ指差されることもあった。
でも、その分、たくさんのことを学ぶことができた。
ほんの少しだけ人間的に成長できた。

いまでもときどき、なんで俺はバリにいるんだろう、と思うことがある。
なんでこんな苦しい思いまでしてここにいるんだろう。
正直そう思う。
暮らすことにいちいち許可を取らなくてはならない。
いろんな書類を作らなくてはならない。
お金だってかかる。
あたりまえのように暮らして自由に仕事することだってできない。
家だって買えないし、年金だってもらえない。
なんの保証もない。
ここでは紛れもなく外国人だ。
不自由なこと極まりない。
>> 次のページ >> なぜこの島にいるのか?

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悪いサイクルを早めに終わらせるために

1ヶ月ぶりにサーファーに戻ってみました

1ヶ月ぶりにサーファーに戻ってみました


まったく気が進まなかったが、心を奮い立たせて海に向かった。
もしかするとナニカを変えたかったのかもしれない。

ここ1ヶ月ほど、大変なアレコレにみまわれ、とてもじゃないけどサーフィンどころの精神状態ではなかった。
もちろんその気にさえなればサーフィンをする時間くらいは作れたはずだったが、心がそちらに向かなかったのだ。
まあボクにとってはこう時期もちょいちょいあるわけで、決して珍しいわけではない。
いつもサーフィンして暮らしていると思われがちだが、案外こういう時期もあったりするのだ。

悪いことが起き始めると案外重なるものだ。
それがバイオリズムってものだ。
誰でもそんなもんでしょ、と諦めていた。
それが世の常、くらいに思っていた。
しかし、約一ヶ月ぶりに海に浮かびながら実はそうではないんじゃないかという考えが浮かんできたのだ。

>> 次のページ >> 悪いサイクルを早めに終わらせるには!?

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ベビ子物語 Vol54 サーファーへの道、海でリラーックス

カレントで力まないための練習

カレントで力まないための練習


先日ベビ子に「もうサーフィンやりたくなーい」と言われてしまった。
ベビ子にサーフィンを好きになってもらいたい一心で生きているボクにとっては気絶しそうになる言葉だったのだ。

悔やまれる痛恨のパーリング。
ワイプアウト後、次の波にも飲み込まれ、さらにインサイドの子どもにとっては強いカレントに「怖い」という感情を芽生えさせてしまった。(そのときの模様はこちら
このような海での恐怖体験というのはトラウマになってしまう可能性があるので非常にまずい。
たった一度の体験が海を遠ざけてしまうことだってある。
ほんの少しの油断がベビ子のサーフィンライフを終了させてしまうことだってあるのだ。

というわけで海でのサーフィンはとうぶんの間封印することにした。
まあ、4才の記憶力はまだまだ新しいことを山ほど吸収しなくてはならないわけで、案外過去の出来事などあっさり忘れてしまうものだ、ということにして。
とにかくどちらにしてもベビ子はまだ4才。
焦る必要はない。
どのみち自分のパドルでちゃんとサーフィンができるようになるのは体幹ができはじめる10才を過ぎたあたりからだろう。
それまでは焦らずゆっくりやればいいのだ。
>> 次のページは >> カレントに慣れるための秘策

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過去を振り返り、今と向き合い、次の1歩へ

サーフィンが人生を変えた!

サーフィンが人生を変えた!


ボクは28歳のときにアパレル会社を辞めてから現在に至るまで会社に雇われるということをしてきていない。
きっかけは「サーフィン」だった。

当時、ボクはプロサーファーとしてコンテストをカバーしながら会社勤めを続けていた。
雑誌の取材やその他のプロサーファーとしての仕事が入るようになると、時間で縛られてしまう会社勤めがどうしても足かせとなってしまっていたのだ。
そこでまだ失うものも守るものもなかったボクは思い切って会社から飛び出し、好きなことをしていく道を選んだのだ。

そんな生活を始めてからかれこれ15年になる。
山あり谷ありだった。
会社員として仕事をしていたときに感じていた閉塞感や憂うつからは解放されたが、その代償として不安や恐怖に苛まれる日もあった。
ここ最近そんな長年の戦いからか、少し心が疲れてしまっていたようだ。
自由人だったボクにも家庭ができ、子どもを授かり、いままでに感じたことのない重い責任と重圧に押しつぶされそうになっていたのかもしれない。
そんなこんなで、少しばかり休息が必要だった。
ゆったりとした時間を過ごすなかで自然と過去を振り返ったりしてみたのだ。

独立して間もないお金のない時代は毎日のように5食100円の蕎麦を少しずつ茹でて節約生活を送っていた。
近所の『すき家』の前を通るときは「ああ、食いたいな〜、ちきしょー、牛丼食べたいなー」と思いながら振り切るように店の前を通っていた。
そのうち少し稼げるようになり、すき家で牛丼が食べれるようになった。
その時は嬉しかった。
なんだか自分が成功者にでもなったような気分に浸っていたのだ。
>> 次のページ >> 今と向き合い、次の1歩へ

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