SWP | 365日、海! サーフィンと海遊びのブログマガジン

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第2章 有本圭自伝『少年おじさん』 ~開き直り~ 第22話(第2章最終回)

住めば都の団地

住めば都の団地


もう失うものは何もなかった。
僕に残ったのは借金だけだった。(前回はこちら
ブリーダーをするために借りていた一軒家は引きはらい、団地住まいに戻っていた。

ある日、出て行った彼女から電話が入り、
「荷物を取りに行きたい」
と言ってきた。

同棲して3年。
ほとんどの持ち物は2人のものだった。
僕は、
「好きな物持っていけよ、俺なんもいらねーからっ。その代り俺がいない時に取りに来てくれよ。会いたくねえから」
と強がった。

数日後、日時を決めて彼女が荷物を取りに来た。
僕は家を空けて、荷物が運ばれるのを喫茶店で時間をつぶしながら待った。
鉢合わせにならないようにじゅうぶんに時間をあけて家に戻った。

>> 次のページ >> 受け止めきれない現実が・・・

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第2章 有本圭自伝『少年おじさん』 ~ ボトムのボトム ~ 第21話

少年おじさん 有本圭と犬たち

少年おじさん 有本圭と犬たち


とにかく今預けているお金を取り戻すことが先決だった。
僕は意を決してOさんの家を訪ねた。(前回はこちら

「アメリカに電話しました。今までのチャンピオン犬の話、ウソだったんですよね。それはそれでいいっすよ。でもお金返してくださいよ」

と僕は詰め寄った。
するとOさんはみるみるうちに顔色が変わり、どんどん人相が悪くなっていった。

「なんやコラっ、これがワシの商売のやり方やっ、なんか文句あるんかいっ」

と言いつつガラスの灰皿を手にして今にも襲いかかってきそうな気配になった。

僕の中で何かがプチンとキレた。

「ふざけんじゃねーよっ、人の弱みにつけこみやがってっ。こっちは信じて借金までしてんのに、その金どこいったんだよ。返せよっ!!」

「犬を渡さんとは言ってへんぞ。金は返さへん、犬を渡せば文句ないやろーがっ」

何を言ってもお金は返ってこなかった。
僕がアメリカンチャンピオン犬を買う、と言って渡したお金。
警察に行ってもなんにも始まらないこともわかっていた。
ヤリクチは汚いが、それでも僕自身の責任だった。
そもそも僕は『楽をして稼ぎたい』とか『自由にサーフィンがしたい』などという甘い考えがその時の状況を生み出していることに気がついていた。

>> 次のページ >> ブリーダーの仕事、どうする??

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第2章 有本圭自伝『少年おじさん』第18話  ~ワールドチャンプになる男とは~

ひょんなことからボウ・ヤングが我が家にやってくることになった。(前回はこちら
今でこそボウ・ヤングといえば元ロングボードのワールドチャンピオンとして世界的に有名なサーファーだが、1997年当時はあくまでもレジェンドサーファー、ナット・ヤングの息子というのが彼の肩書だった。

社長に連れられてボウ・ヤングが僕のお店にやってきた。
「じゃ、あとは頼んだぞ~」
といかにも軽~い調子でかなり重~い任務を社長は僕に押しつけてきた。

ボウ・ヤングと有本圭、ショップの仲間たち

ボウ・ヤングと有本圭、ショップの仲間たち


ボウはヒョロっと背が高く、ぐにゃぐにゃパーマのロン毛で、やや緊張した面持ちで僕に握手を求めてきた。
僕はそのころ英語が堪能だったわけではなかったが、なんとなくノリと雰囲気で外国人と仲良くなるのは得意としていた。
その日から1週間、僕の狭い団地に泊ることになっているボウとどう付き合っていくか、という問題も結局ノリと雰囲気に任せるしかなかった。

「日本に来たことがあるのか?」
「いや、初めてなんだ」
「ほお~、今回の旅の目的はなんなの?」
「スポンサーを探してるんだ。 僕はさ、ロングボードでワールチャンピオンを目指してるんだよ」
「えええっ、ワールドチャンピオン?? おおお、それはすごい目標だね~」

ワールドチャンピオンを目指す、とは軽々しく口に出して言えることではない。
ボウのお父さん、ナット・ヤングは元ワールドチャンピオンのレジェンドサーファー。
そんな環境で育ったボウにとっては、きっと自然とワールドチャンピオンは夢ではなく目標なのだろうと思った。
なにしろ僕の39年の人生で「世界のトップを目指す」と豪語したのはこのボウ以外にはいないのだ。
そして実際にその言葉通り、世界のトップになった男もボウを置いては他にいない。

>> 次のページ >> ボウ・ヤングのとのサーフセッション!

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《衝撃スクール》  ~ゲストライター ユーコの海日記~

はじめまして♪
「戦うover40」サーフィン初心者ユーコです。

早く到着~。テントまで作って準備万端!

早く到着~。テントまで作って準備万端!


先日圭さんのサーフィンスクールに友人と初!参加しました。

始めは私たちのサーフィンチェック。
何も言わず、私たちのレベルやウィークポイントを浜辺で見てた圭さん。
しばらくして、ひとつの場所でそこに来た波だけに乗ろうとする私たちに「一緒にやりましょう!」と言ったのが「ボディサーフィン」。
『波を探し、ピークを見つけ、そしてそこに乗る』ことを身体で覚えることが目的と説明を受けました。

・・・とここまではフツーのスクール。 続きを読む…

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第2章 有本圭自伝『少年おじさん』第16話  ~ 負けるな、クッシン君 ~

それにしても人生というものはどこでどう転がっていくか想像もできない。
特に若いうちはまだ生きる方向が定まっていないからなのか、目の前に吹く風向きによって道がどんどん変わっていってしまう。

僕の場合、単純に「海の近くに住んでサーフィンしたい」という思いでパチンコ屋さんの住み込みで働き始めた。
その仕事に嫌気がさし始めていたころに、たまたま海帰りに見つけたサーフショップの求人募集に応募し、そこに採用されたことで『どっぷりがっつりサーフィン人生』が始まっていったのだった。(前回はこちら

プラウドメアリー入りたての有本圭。 ちょっとインチキ臭い

プラウドメアリー入りたての有本圭。 ちょっとインチキ臭い

東京で生まれ育った僕にとって、当時辻堂ローカルの輪の中に入ることは容易なことではなかった。
そこで働くスタッフやクラブ員の人たちの大半は辻堂で生まれ育った生粋のローカルサーファーたちで、サーフィン初級者だった東京生まれの僕はいつも彼らの笑いものになっていた。
しかも彼らはショートボーダーばかりで、僕のように若くしてロングボードをやっていることに対して、ややバカにした感情を抱いているようだった。
今から16年前、『ロングボード=よぼよぼオヤジがやるもの』という見方が一般的だったのだ。

「オマエなんで若いのにロングなんてやってんだよ」
とか、
「ショート乗れねーからロングやってんだろ」

などと言われながらも、僕はサーフィン初級者ながらも、「5年後にはロングボードのプロになってやる」という当時の僕にとっては壮大な目標があったので、誰に何を言われようともロングボードで海に入っていた。

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有本圭自伝『少年おじさん』 第6話 『野良猫隊』はベトナムで・・・

1994年、6月9日に動機不純な僕を乗せたゴールデンオデッセイ号は竹芝桟橋を出港し、12日に石垣島、14日に香港へと立ち寄り、次なる寄港地ベトナムへ向けて順調な航海を進めていた。

僕はといえば、その間ちゃっかりMちゃんという永作博美似のカワイイ彼女が船内にできてしまい、すこぶるハッピーな船ライフを楽しんでいた。(前回はこちら

香港を過ぎたあたりから、航路は完全なる『夏地帯』に入ったらしく、デッキにいるときはひたすら海パンで過ごし、洋服の出番はほとんど無くなっていった。
日が経つにつれて、船内でも知り合いが増えてきて、人間関係も複雑になってきだした。
僕とMちゃんの関係については、僕たちがもともと付き合っていて、2人でこの船旅に参加していると思っている人が多かった。
それもそのはずである。
乗船2日目から僕とMちゃんはほぼ一緒に時を過ごしているわけだから、周囲にはそう映ったのも無理はない。
事情を説明すると皆一様に驚き、おののき、そして最後には称賛を与えてくれた。

「君、やるねー」
「すごいね、電光石火だね」

などなど。

まあ、今となってはとても自慢できるようなことではないのだが、当時はそれなりに優越感に浸ってしまっていたのだ。 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』 第4話 不純な旅が始まった

1994年6月9日。
その日は僕の人生にとって特別な日だ。
念願叶って、地球一周クルーズへの文字通り船出となった日なのだ。
出発地である竹芝桟橋の待合室から大きな荷物を2つ抱えて船のタラップを昇って行くときの光景は今でも昨日のことのように思い出される。
僕は完全に舞い上がっていた。(前回まではこちら

まんまと船に乗り込んだ有本圭

まんまと船に乗り込んだ有本圭

タラップを上がるとその船のキャプテンやクルーたちが笑顔で僕のことを迎えてくれた。
まるでセレブになったような気分だった。
昨日まで、昼間は地べたを這いつくばりながらピースボートのボランティアスタッフ(以下ボラスタ)としてこの地球一周クルーズのビラ配りやポスター貼りをし、夜は新宿歌舞伎町のバーで雑用の一切をしていた僕が、いきなり豪華客船の乗客になった瞬間だった。
人生の深い深いボトムターンから一気に駆け上がったような錯覚に陥った。
客船の名前は『ゴールデンオデッセイ号』。
名前からしても豪華なのだ。
「俺もヤンエグの仲間入りか」などとつぶやきつつ胸を張った。
因みに『ヤンエグ』とは『ヤング・エグゼクティブ』の略で、今風に言うと『ヤングなセレブ』みたいなものだ。 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』 第3話 行けるのか!?地球一周

THE 能天気ーズ 左)小川大二郎 右)有本圭

THE 能天気ーズ 左)小川大二郎 右)有本圭

『能天気にして単純、加えて楽観主義』というおバカさん3大定義をきっちり持ち合わせている僕と悪友である大宮スケーター小川大二郎は、ピースボート地球一周クルーズに申し込んだ時点で、完全に乗船する気になっていた。(少年おじさん 2話はこちら
時間を持て余していた僕らは、暇な時間をピースボートのボランティアスタッフ(以下ボラスタ)としての活動に充て、旅費を少しでも安くしようという作戦を敢行していた。

1時間ボラスタとして仕事をすると、旅費から1000円割り引かれるというのは魅力だった。
仕事は非常に簡単で、ビラ配りやポスター貼りなど、脳ミソが溶けだしそうになっていた僕ら2人でもわりとすんなりできるものだった。
しかし、ボラスタの仕事は旅費が安くなるというだけで、現金収入にはならなかったので、船旅の際の現金も稼ぐ必要があった。

そこで僕は、昼間はボラスタ、夜は新宿歌舞伎町のバーでアルバイトという二重生活を始めることにしたのだ。
朝、高田馬場にあるピースボートの事務所に行き、ポスターやビラを山ほど受け取り、それを近隣などの地域で配り、夜になると歌舞伎町のネオン街へ消えていくという生活はなかなかハードなものだった。
しかし、僕には『カワイイ女の子たちとの地球一周クルーズ』が待っているのだ!、と気合を入れてなんとか乗り切っていった。 続きを読む…

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有本圭自伝『少年おじさん』  第2話 人生が動きだした電話

思い返してみると、まったくひょんなことから人生というのは大きく動いていく。
僕は21歳になっていた。
特になんの目標も、夢もなく、ただ、親のスネをかじりながら日々『楽しいこと』を探しまわるという自堕落な生活を送っていた。

そんなある日曜日のできごとである。
朝陽というにはちょっと遅すぎる時間だったが、初冬のまだ暖かさを残している日差しが我が家のリビングに降り注いでいた。
日曜日にだけ休みを取る父親も、パジャマ姿のままソファでのんびりと朝日新聞を眺めていた。
僕は寝ぼけ眼のままテーブルの上に置いてあった日刊スポーツに手を伸ばした。

例のごとく僕の嫌いな巨人の選手が一面を飾っていた。
今年もどうやら巨人が強いようだ。
僕の応援している広島カープは1991年の優勝を最後に低迷していた。
貧乏球団というハンデを抱えながら、必死に戦っている姿に惹かれ、4歳の時からの熱狂的なカープファンなったのだ。

少年時代からきっちりカープファンの有本圭

少年時代からきっちりカープファンの有本圭

そんなカープに引き替え、金の力にものを言わせ、一流選手を買いあさっている巨人には激しい対抗心を燃やしていたのだ。
当然、今朝の新聞でも巨人が大きく取り上げられている一面、二面はパスし、三面の片隅に申し訳程度に載っているカープの試合結果を入念にチェックしていた。
試合に負けていても、誰が何打数何安打だったか、など細かくチェックするのが習慣になっていた。
そんな風に、いつもの平和な休日の朝を過ごしていた。 続きを読む…

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